筆者がネットで調べものをしていると、「曹丕 毒蛇」というキーワードが出ました。
正直言うと筆者も記憶に無い話だったので、調べてみることにしました。
調べてみると分かりました。
曹丕が弟の曹沖を毒蛇で殺した可能性があるかもしれない、という疑惑です。
しかし、これはドラマ「三国志Three Kingdoms」の創作です。
曹丕を悪者に見せたいだけです。
それでは今回は以上です。
「逃がさねえぞ、晃!」
「お前なんかに楽させねえぞ!」
申し訳ありません、仕事します。
というわけで今回は曹沖について解説致します。
理系男子 曹沖
曹冲は曹操の実子です。
幼い時から優しくて聡明で学問に熱心だったことが記録に残されています。曹冲の賢さを物語るエピソードが残っています。
ある日、孫権から象が贈られました。
曹操は家臣に象の重さを尋ねました。
しかし、誰も答えられません。
そんな時に曹冲が答えました(翻訳は現代の人に分かりやすくしています)
「象を船に乗せてください。船が沈んだら、その船の水面の所に印を付けます。象を降ろしたら、重しを印の付いている所まで乗せてください。その重さをはかればよいのです」
曹冲の答えは「アルキメデスの定理」です。
曹操たちは曹冲の理路整然な答えに納得しました。
役人を助ける曹沖
ある日、倉庫で管理していた馬の鞍がネズミにかじられました。曹操は管理不行き届きの罪で役人を処罰することにしました。
役人は怯えていました。すると曹冲は、役人に対して3日後に自首することを言いました。曹冲は自分の衣服に穴を空けると曹操に見せました。要するに曹冲は衣服ですらネズミにかじられるのだから、鞍もネズミにかじられても仕方ないと言いたかったのです。
曹操は納得して役人が3日後に自首しても、何も処罰しなかったとのことです。
曹沖の死の真相
さて、曹冲の死は先ほども述べたようにドラマ「三国志Three Kingdoms」では曹丕による暗殺となっていますが、実際はどうだったのでしょうか。
もちろんただの病死です。建安13年(208年)に13歳の若さで世を去りました。彼の死について、次の話が残されています。
華佗という医師がいました。華佗は現在の麻酔の原型を開発したとされていますが、詳細なことは不明です。曹操は華佗に朝廷の医師になることを要請しました。
しかし、華佗はそれを断っており古郷に引きこもっていました。
怒った曹操は華佗を捕縛して殺害しました。それを聞いた曹冲はショックで病気になり、この世を去ったと言われています。
きっと華佗を尊敬していたのでしょう。理系男子らしい最期ですね。
曹操が最も可愛がった子
実は曹沖は曹操が最も可愛がった子でした。死ぬ間際も曹操は祈祷師にお願いして、病気が治ることを頼みました。
あの迷信を信じない曹操が、そんなことをしたのです。
それどころか曹冲が死んだ時は曹丕に対して、こんな発言をしました。
「曹冲の死は私にとっては悲しいが、お前には嬉しいだろう!」
言われた方はきついです。ドラマやマンガ、ゲームで曹丕の性格がねじ曲がったようにされているのは、これが原因と思います。ちなみに曹丕は魏の初代皇帝に即位すると、次のセリフを残しています。
「曹昴は生きていても大した人物じゃないけど、曹冲が生きていたら今の自分はいなかった」
曹昴は建安2年(197年)に戦死した曹丕の異母兄です。いかに、曹冲が曹丕にとって驚異的な存在だったか分かります。
それにしても、なぜ曹操はここまで曹冲を可愛がったのでしょうか。
これは筆者の推測なのですが、1つは曹操の周囲の人材にあったと考えられます。
曹冲存命時期までの曹操の主だった人材と言えば以下の通りです。
夏侯惇・夏侯淵・張遼・張郃・曹仁・曹洪・荀彧・荀攸・程昱・李典・孔融・曹丕・曹植・・・・・・
挙げればキリがないので、この辺でやめます。
体力自慢の武将か儒学者・文学者しかいません。
要するに、曹冲のような理系男子がいなかったのです。
曹操自身も特技は詩文なのでバリバリの文系です。
曹丕・曹植も親譲りの文系男子です。たぶん曹操は自分に無い特技を持っているので、曹冲を可愛がったのでしょう。
その点、自分のコピーをしているに過ぎない曹丕と曹植はどうだって良かったのだと思います。
三国志ライター 晃の独り言
今回は曹沖についての記事を書きました。
余談ですけど、曹冲は葬式の時に結婚式もしています。
「はあ?」と思うかもしれませんが本当です。
曹冲と同時期に亡くなった女の子がいたので、その子と戸籍上の結婚をさせたのです。
曹操の親バカもここまできたら天下一ですね。
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