魏(220年~265年)の初代皇帝である曹丕は弟の曹植との後継者争いに勝利して、皇帝になりました。皇太子時代の曹丕を後継者に推薦した人物の1人に桓階という人物がいます。桓階とは何者でしょうか?
今回は正史『三国志』をもとに、桓階について解説します。
「曹丕 逸話」
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孫堅・劉表・張羨に仕える桓階
桓階は最初から曹操の部下ではありません。彼は孫堅が長沙太守であった時に抜擢した人物です。しかし抜擢されると同時に父親が亡くなったので、すぐに郷里に帰りました。中国では親が亡くなったら3年の喪に服す決まりがあります。
初平2年(191年)に孫堅は袁術と一緒に荊州の劉表を攻撃。孫堅は劉表配下の黄祖を追い詰めますが、伏兵の攻撃により落命。
孫堅の遺体は劉表軍に持ち去られてしまいます。だが、ここで登場したのが桓階でした。彼は孫堅から抜擢された恩を返すために劉表を説得。見事に孫堅の遺体を息子の孫策に返還しました。
劉表は、昔の主人の恩を忘れなかった桓階の行動に感激します。長沙は孫堅の死により劉表の支配地域となり、孫堅の後任として劉表配下の張羨が赴任します。桓階は、そのまま張羨に仕えました。
ところが張羨という人物は、上司と衝突するのが日常茶飯事。そのため劉表は凄く嫌っていました。長沙太守に任命したのも左遷でしょう。なぜなら、長沙という土地は小説『三国志演義』や正史『三国志』でも、有名な地名ですけど戦略的に見れば重要性は低いのです。荊州で最も重要な土地は最北部の南陽、北東の江夏、北西の南郡の3つ。周瑜が南郡に1年近くも固執していたのは、3つとも確保したかったからです。
話がそれたので戻します。建安3年(198年)に張羨は劉表から独立を宣言。怒った劉表は、討伐軍を派遣しますが敗北に終わります。建安5年(200年)に曹操と袁紹が官渡で天下の覇権をめぐって争うと、張羨はどちらの味方につくべきか迷いました。
桓階は張羨に、「曹操は兵力では袁紹より弱いですが、皇帝を擁立しています。我々も味方をして彼の到着を待ちましょう」と説得しました。納得した張羨は長沙・零陵・桂陽の兵力を挙げて、袁紹と手を結んでいる劉表と戦闘開始。曹操と手を結ぶことにします。曹操は張羨の加勢に大喜び。合流することも約束しましたが、思った以上に袁紹軍との対陣が長引いてしまいます。
その間に張羨は病気で亡くなりました。残った部下は張羨の息子を後継者に立てますが、士気が落ちていることに気付いた劉表は一斉に攻撃開始。ここに零陵・桂陽・長沙の3郡は劉表軍に奪われます。敗走すると桓階は身を隠しますが、劉表は必死で桓階をスカウトしました。ただのスカウトではなく、後妻である蔡氏の妹を妻として与えるという破格の条件まで出します。ところが、桓階は「自分は結婚しています」と言って仕官を拒否します。おそらく、劉表という人物に見込は無いと思って断ったのでしょう。
後継者に曹丕を推薦する桓階
建安13年(208年)に劉表が亡くなると、曹操は荊州を平定します。桓階はこの時から曹操に仕えます。さて、この当時から曹操の後継者問題が浮上していました。最初は曹植が圧倒的に優勢です。曹植の取り巻きの楊脩・丁儀・楊俊などが曹植を支持したからでした。しかし桓階は「圧倒的曹植」の状況であるにも関わらず、曹丕の良い点を挙げながら曹操に曹丕を後継者にするように説得します。
桓階は他人を誉める時に特徴がありました。他人のプラス面は倍にして誉めて、マイナス面もプラスに転じるのです。現代のコミュニケーションでよく使われる方法です。曹丕・曹植の後継者問題は様々な学説があって断定は出来ませんが、曹丕が後継者になれたのは桓階の力が大きかったのは間違いないでしょう。
曹丕の涙
曹丕が皇帝になると桓階は病気になってしまいます。曹丕は自分から見舞いに訪れると、「私は君に幼少の子を託そうと思っているんだ。しっかりしてくれ!」と励まします。だが、桓階は病魔に勝てずにこの世を去りました。享年不明。曹丕は桓階の死を聞くと、涙を流しました。その姿は曹植やその派閥の部下を冷遇した人物から想像出来ないものでした。きっと、曹丕は桓階だけには莫大な恩を感じていたのでしょう。
三国志ライター 晃の独り言
正史『三国志』に目を通すと、部下が亡くなったことで涙を流すのは孫権ばかりです。曹丕が涙を流した話は非常に珍しく、今回の桓階の話はその1つです。ちなみに劉備も思った以上に泣かない人でした。彼が泣いたのは龐統・法正が死んだ時ぐらいでした。関羽、張飛、馬超、黄忠の死には全く泣いていません。
ウソでもいいから泣けよ、と言いたくなります。
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