夏侯楙は夏侯惇の実子なのにどうして夏侯淵の養子設定なの?【三国志演義】

2022年4月30日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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司馬朗と司馬防

 

司馬(しば)家の息子たちは全員字に「達」字が入っていて、誰も彼もが優秀であったことから「司馬の八達」と呼ばれました。この司馬家は後々、新王朝を開くこととなるので、晋の時代に移り変わるとそりゃあもう有名どころが司馬ばかり出てきてびっくりしますね。

 

 

そこで今回は(筆者の)気分を変えるべく、夏侯(かこう)家、夏侯淵(かこうえん)の息子たちについてのお話をしましょう。合わせて三国志演義で長男とされた夏侯楙(かこうぼう)についてもちょっと考察してみます。

 

 

 

夏侯淵には七人の男の子がいる

夏侯淵

 

まずは夏侯淵の息子たちを順番に。

 

夏侯衡(かこうこう):長男

夏侯覇(かこうは):次男

夏侯称(かこうしょう):三男

夏侯威(かこうい):四男

夏侯栄(かこうえい):五男

夏侯恵(かこうけい):六男

夏侯和(かこうわ):七男

 

と、見ているだけで分かる子だくさん。

 

曹叡

 

この中で三男・夏侯称は武芸に優れていたものの早逝し、また五男である夏侯栄は曹叡(そうえい)とは親友だったと言われていますが、定軍山で父親・夏侯淵が討ち死した際に後を追うように彼自身も討ち死しています。

 

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李傕・郭汜祭り

 

 

 

消えた夏侯楙

無能なのにプライドが高い夏侯楙

 

と、ここで「夏侯楙は?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。何せ三国志演義では夏侯楙は「夏侯淵の長男だったけど夏候惇(かこうとん)の養子にいった」とされています。

 

三国志演義_書類

 

そもそも三国志演義の方では夏候惇と夏侯淵が兄弟になっているので、子供がいない兄の養子になったとなればそんなにおかしいことではありません。しかしこの夏侯楙、中々に立ち位置が面白いキャラクターです。

 

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民間伝承の三国志

 

 

三国志演義では無能な夏侯楙

夏侯楙は臆病者と罵る魏延

 

さて三国志演義の夏侯楙、夏侯淵の息子で夏候惇の養子にいく、という驚きのネームバリュー血統賞を見せつけてくれますが、何がどうなったのか分からないくらい暗愚の代表格のように描かれています。

 

しょっぱなから金勘定にしか興味ないと言われ、無能なのにプライドが高いと言われ、魏延(ぎえん)から「こいつが長安の司令官とか奇襲余裕っすわ」と言われ、諸葛亮(しょかつりょう)の北伐に意気揚々と総大将になったかと思いきやびっくりするほどボロ負けしてそこから逃げて魏には帰りませんでした……となる始末。

 

司馬懿と曹叡

 

止めのように司馬懿(しばい)が「夏侯淵殿の御子たちを従軍させたいです」と言った際に曹叡から「逃げて帰ってこない夏侯楙と比べてどうなん?」とまで言われてしまう扱いです。

 

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正史でもろくでもない夏侯楙

夏侯楙

 

とはいえこれは三国志演義、演出かかっているだけで本当はもっと優秀なんでしょ?と思われるかもしれませんが、正史の夏侯楙も夏侯楙で評判が良いとは言えない人物。

 

夏候惇の実子で曹丕(そうひ)の幼馴染みで友人だったからか曹操(そうそう)の娘を嫁に貰ったまでが良い所で、そこから漢中に赴任するやいなや愛人を大量に作って嫁から非難され、実の弟たちと揉めて処刑されかかるというこちらも散々。

 

権力を使って女性とイチャイチャする夏侯楙

 

果てにはお金が大好きで横暴なのに臆病な性格は魏以外でも評判だったのか三国志演義と同じように魏延に言いたい放題言われてしまいます。

 

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正史では夏侯惇の息子の夏侯楙

魏の夏侯淵

 

ここで気になったのが夏侯淵の息子設定。夏侯楙の話自体は正史にもあまり記述がなく、正史でも三国志演義でもほとんどやっていることは変わりがないという人物像です。

 

夏侯惇

 

しかしそんな夏侯楙の唯一の変更点が「夏候惇の実子」から「夏侯淵の息子だけど夏候惇の養子になった」になっている所。この変更点はどうして起こったのでしょうか?

 

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夏侯惇の養子扱いの理由

夏侯惇

 

理由として一番に考えられるのがこれでしょう。夏候惇は三国志演義では出番がある方と言っても、序盤の方が多いです。というか、後半になるといつの間にかフェードアウトしています。

 

しかし夏侯淵はつい先日(でもないけれど)蜀と戦い戦死した武将、その息子が父の後任として漢中の守備に就いて蜀と戦う……その後の展開を知らなければ夷陵(いりょう)の戦い並みに燃える展開でしょう!

 

諸葛亮の北伐を盛り上げる展開としてこれ以上はないのではないでしょうか。

 

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【北伐の真実に迫る】

北伐

 

 

ドジな夏侯惇を隠す為に養子扱いに

実は文官タイプだった夏侯惇

 

もう一つ考えられる話として、夏候惇のフォローもあると思います。何せここから醜態を晒してしまう夏侯楙、しかもその後は夏侯淵の息子である夏侯覇が蜀に亡命して活躍してしまいますからね。読者から見れば「夏侯淵の息子は出来が良いのに夏候惇の息子は……」とついつい比べてしまうことでしょう。

 

夏侯惇と呂布

 

現に夏候惇は嘗て博望坡(はくぼうは)の戦いで大敗北をしてしまった際に、多くの戦死者の責任を取るために自ら縄に囚われるなど、失態してもそのフォローをされている人物です。なので息子である夏侯楙の一件にもメスが入ったのではないかと思うのですが……どうですかね?

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みに三国志演義で夏侯楙を押し付けられた夏侯淵のフォローですが、武芸に優れていたにもかかわらずやや慎重さにかけ、しかしながら立派に戦死した夏侯淵。

 

その息子として出てきた夏侯楙の失態を見て一番に「父親の夏侯淵は欠点があったとはいえ勇猛果敢に戦ったのに……」となると思うので、こちらもそれなりに便宜が図らわれていると思います。

 

この実子養子問題は至る所で見かけますが、夏侯楙の関係はちょっと疑問に思ったので今回ちょっと考えてみました。よければ皆さんもこの夏侯楙の実子養子問題について考えて見て下さいね。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

どぼん!

 

参考文献:魏書夏侯淵伝 魏略

 

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君主論

 

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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