曹操、孫権、劉備がしのぎを削った「三国志」。なかでものちの「魏」の創始者となる「曹操」は天下統一目前まで迫る勢いを見せていました。
最終的に「三国志」では「魏」の跡を継いだ「晋」が中国を統一することになるのですが、その基礎を作ったともいえる曹操の「すごさ」とは何なのでしょうか?
今回の記事では考えてみましょう。
この記事の目次
曹操のすごさ1:若いころから一部で大変な注目を浴びていた
曹操は若いころは放蕩(好き勝手)の限りを尽くし、世間では誰も評価をしなかったといいます。しかし、その才能を見抜いた人物もいました。曹操の学問の師ともいえる「橋玄」は曹操の事を「今天下は乱れている。
これを治めることができるのは君(曹操)ではないか?君は乱世の英雄で、太平の世であれば大悪人だ。」と、評価しました。
また、人物鑑定で有名だった「許劭」は曹操の事を「君は治世の能臣、乱世の姦雄(ずる賢く油断のできない英雄)」と評しています。二人の鑑定の評価は若干違いますが、その人物のすごさは若いころから評判だったようです。
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曹操のすごさ2:読書家で教養があった
かなり遊んでいた、と言われた曹操でしたが、実は読書家で教養もある人物でした。特に書物にはかなり精通しており、中でも戦場の心得などを書いた「兵法書」を好んだと言います。兵法書が好きすぎて、様々な兵法家の書き抜きを作りそれを「接要」と名付けたそうです。
また、有名な「孫子の兵法」13編にも「注」(解説など)を付けたといいます。これらの知識は戦場でも生かされたことでしょう。
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曹操のすごさ3:優秀な人材が自然に集まってきた
天下を統一するには優秀な人材は欠かせません。曹操はのちに後漢の「献帝」を擁することに成功し、天下に近づくのですが、このチャンスをものにするには参謀たちのアドバイスが欠かせないものでした。
曹操もとには「郭嘉」「荀彧」「程昱」と言った優れた頭脳の持ち主がはせ参じていました。
これは曹操が「才能のある者には位を与え、人材の持つ才能を最大限に発揮させるべく、冷静に人を判断し、人がかつて犯した悪行を考慮に入れなかった。」(三国志、武帝紀)と言ったスタイルをとっていたからと考えられます。
このような曹操の姿勢は、硬直した後漢の政治に対して絶望していた優秀な人にとってはとても素晴らしく見えたのではないでしょうか。
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曹操のすごさ4:度量が大きかった
曹操は集めた人材を離さない度量の大きさも持っていました。有名なエピソードに袁紹との「官渡の戦い」の勝利後のエピソードがあります。
曹操は袁紹から多数の戦利品を獲たのですが、その中に大量の手紙がありました。その内容はほとんどが袁紹に向けたもので、差出人を見てみると、曹操軍に属していたものの名前が書かれていたのです。
彼らは袁紹に内通していたとみられ、参謀たちの中には彼らを処刑すべし、という声も出ていました。しかし曹操は内通していたとみられる者たちを集め、彼らの前で手紙をすべて焼き捨てたのです。これに曹操軍の面々は安心し、さらに曹操に忠誠を誓った、と言います。
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