銭湯とかで背中に入れ墨をしている人を見ると、怖いですよね。しかし、楚漢戦争時代には背中ではなく、顔に刺青をしていた男が居ました。その名を黥布(げいふ)といいます。
オシャレで顔に入れ墨をしていたのではなく、罪を犯した証として顔に入れ墨を入れられます。その後黥布は項羽(こうう)軍に参戦し、数々の戦で活躍し、最終的には王の位を手に入れます。今回はちょっとおっかない顔に刺青を入れた王様黥布を紹介します。
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この記事の目次
占い師の予言
黥布は秦の時代平民出身の人でした。彼は若い時占い師に人相を占ってもらった所
「お主。顔に刺青を入れられた後、王になるであろう」と告げられます。英布は「本当か。それはいい事を聞かせてもらった」と大いに喜び、占い師に感謝します。
黥布の由来
実は黥布という名前あだ名なんです。彼の本当の名前は英布です。なぜ黥布と呼ばれる事になったのでしょう。それにはこのような理由がありました。
顔に黥(げい)をされた布さん=黥布
英布は罪を犯し、顔に「黥(げい)」を入れられます。
黥は顔に入れ墨をする事です。こうすることで、
この人は罪を犯した人間ですよと、世間に分からせるように行っていたそうです。
こうして同じ囚人として働いていた仲間から「黥を入れられた布さん」と
いう事で、黥布と呼ばれて行く事になります。
脱走して盗賊になる
黥布は顔に入れ墨を入れられた後、囚人が働いている始皇帝の陵墓建設の仕事に従事しておりました。彼は建設の仕事をしている時に同じ囚人仲間の豪傑や遊侠の親分などと知り合います。彼はその後知り合った囚人仲間と共に脱走し、長江まで逃げます。黥布と囚人たちは盗賊として、長江沿岸の村々や秦の役所を襲い、暴れまわります。
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秦に対して反乱を起こす
陳勝・呉広の反乱が勃発し、秦帝国に大きな亀裂が入ります。黥布はこの反乱が勃発した時、鄱陽の有名な豪族である呉芮(ごぜい)に気に入られて、彼の娘を嫁にもらいます。その後黥布は呉芮と共に数千人を集めた後、秦に対して挙兵します。陳勝・呉広の乱が発生すると、各地の豪族や元貴族が独立していきます。黥布も彼らと同じ群雄として名乗りを上げる事になります。
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項梁(こうりょう)と元に参陣
黥布は独立を果たした後、鄱陽に呉芮を残し、自らは軍を率いて項梁の元に馳せ参じます。黥布は項梁軍の先鋒として戦い、実績を上げていきます。項梁は彼の実績を認め、当陽君の称号をもらいます。
こうして実績を積み項梁から期待されておりましたが、秦の章邯(しょうかん)の奇襲により、項梁が亡くなってしまいます。
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