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三国志の生みの親であり歴史家の矜持を悩ます歴史書編纂の裏事情

2014年11月29日


 

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超雲 阿斗 守る ゆるい

 

三国志ファンの多くは、『正史三国志』と『三国志演義』のどちらが好きかと問われれば、『三国志演義』と答えるのではないでしょうか。なぜなら、『正史三国志』では、阿斗を守るために趙雲が敵陣をくぐりぬける姿を見て、

 

「かっこいい……!」と目をハートにしたりできません。

孔明南東の風

赤壁で東南の風を呼ぶ孔明を見て、「なにこのヒト、スゴイ!」と感動することもできません。

 

正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

やはりどうしても、『三国志演義』びいきになってしまうのは否めませんので、少し、『正史三国志』のすごいところについて、書いてみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『正史』の作者陳寿は蜀の出身

蜀の産まれ

 

歴史家陳寿、字は承祚(しょうそ)は、三国時代の蜀に生まれました。若いころ、歴史家の譙周(しょうしゅう)に師事して、蜀の官僚となります。

 

劉禅に気に入られる黄皓

 

陳寿が官僚となった時代の蜀は、劉禅(りゅうぜん)が君主で、宦官の黄皓が専横を極めていた頃です。すでに劉備も諸葛孔明もいない、暗愚な時代だったため、陳寿の官僚人生は、決して順調とはいえませんでした。

 

降伏する劉禅

 

やがて蜀が魏に下ったのち、陳寿は職を失ってしまいます。ですが、魏はすぐに、晋に代わります。ここで再び、仕官の道が開けました。晋王朝のもとで、陳寿は『三国志』を手掛けることになるのです。

 

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歴史書編纂の裏事情

水滸伝って何? 書類や本

 

中国の歴史書というのは、前の時代が終わった後、次の時代の人が、前時代に書きためられた資料をもとにしてひとつの歴史書として編纂するのが常でした。これは平たく言えば、「今の王朝は、こんなふうだった前の時代から、正統に受け継いだ王朝です」と、世に知らしめるためのものだったのです。

 

紂王

 

そんなわけで、できることなら、前の王朝の特に最後の方は、残念であるほうがいい。殷の紂王が若いころは賢君だったのに、急に暴君になったりするのは、こういう理由があったのです。だから傾国の美女の存在は、中国の歴史にとって、うってつけだったわけですね。

 

斉王になる司馬攸

 

そして、前の王朝が正統である必要がある。晋は、魏から起こった王朝です。「正統」な王朝である魏から受けついだ晋も、「正統」であるという理屈です。ですが三国時代は、分裂期ですから、他にも蜀や呉という国がありました。これら二つを「国」として認めるわけにはいかないということです。そこで陳寿は、『三国志』内の年号を、すべて魏の年号でしるしました。

 

酒を飲む曹操、劉備、孫権

 

さらに、皇帝をしるす「本紀」には、曹操(そうそう)ら魏の君主のみを書いたのです。劉備(りゅうび)孫権(そんけん)は、それ以外の家臣などをしるす「列伝」に入れられました。

 

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簡明に率直に書かれた歴史書

司馬昭の質問に回答する劉禅

 

想像でしかありませんが、蜀の出身である陳寿は、自国の皇帝であった劉禅を、もしかしたら「本紀」に入れて書きたかったかもしれません。ですが、陳寿は、魏を正統な王朝として、『三国志』を書き上げました。また、陳寿が『三国志』を手掛けた時代というのは、ついこの前のことを書いているわけですから、まだ登場人物が存命していたり、その子供が身近にいたりします。

 

陳寿は批判の的

そうすると、各方面から、様々な圧力を受けるのです。「俺の父ちゃんをよく書け」とか、「私の夫を悪く書いたら許さないわよ」とか言われるわけです。ひどいときには、脅迫まがいのことすら起こりえます。そういう危機をもかいくぐりながら、書かれた『正史三国志』です。なにか、とても重みを感じます。

 

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