諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が、
劉備(りゅうび)の軍師になって2年目、西暦208年、
曹操(そうそう)は、劉備討伐の兵を挙げます。
曹操軍のメンバー発表
総大将を夏候惇(かこう・とん)、副将を于禁(うきん)、
李典(りてん)で固めた、総勢10万人の大軍です。
前回の3倍以上の大軍ですが、それでも今の曹操には小手調べでした。
どうして、曹操が急に劉備討伐の軍を起こしたのか、、
それは偽の手紙で曹操軍に投降させた徐庶(じょしょ)の言葉でした。
徐庶を手に入れた曹操
徐庶の母は、戻ってきた息子を見て激怒します。
「この不忠者!!この母がお前に劉備様を裏切り、
曹操に仕えよと、そんな手紙を書くと思ってか!!」
そして、自分が生きている事で、徐庶の運命を狂わせた事に
徐庶の母は責任を感じて、自殺してしまうのです。
それを見た徐庶は非道な方法で自分を呼び寄せた曹操を深く恨み、
決して曹操の為に策は立てまいと決意します。
その曹操が、劉備に最近仕えた孔明について、徐庶に質問しました。
「孔明の才能は、私のような凡夫が及ぶ所ではありません、、
私の才が蛍の光なら、孔明のそれは満月のような輝きで御座います」
徐庶は、曹操に素っ気なく返答します。
「ほほう、、お主のような天才が、孔明の前では蛍の光か、、
面白い、、興味が湧いてきたのう、、」
こうして、曹操は孔明のお手並み拝見と考えて、
劉備討伐の軍を起こしてきたのです。
何で、徐庶は孔明の事を話したのか?
ちょっと聴くと、これは徐庶が孔明の才能についてうっかり口を滑らした為に、
曹操が劉備を討伐する軍を起こしてしまったように思えます。
しかし、それはまったく逆で徐庶は曹操に孔明に対して関心を持たせようと
わざと、自分を卑下して、孔明を持ちあげたのだと思います。
曹操は、三国志演義を通して見ていくと、
その性格上、奇策・奇略を得意とする人物です。
つまり、周囲が「やめろ、出来ん、無理だ!」と言えば言うほどに、
その事について関心を持ち、やってみようという性格なのです。
徐庶なりの復讐
徐庶は、そんな曹操の性格を逆手に取って、孔明の才能を持ちあげて
曹操が、「そんなに孔明が強いかどうか、俺が試してやろう」
と思うように仕向けていたのです。
もちろん、孔明が、曹操の軍勢など蹴散らせると見越しての事でした。
これは、曹操の非道な計略で母を失う羽目になった徐庶の、
用意周到で冷酷な曹操への復讐だったのです。
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耳で聞いて覚える三国志
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