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樊噲(はんかい)とはどんな人?肉屋の主人から劉邦の親衛隊隊長として楚漢戦争を戦い抜いた豪傑

2016年2月28日


 

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何進

 

三国志で肉屋の主人と言えば漢の大将軍になった何進(かしん)を思い出します。彼は妹が霊帝(れいてい)に気に入られた事で、立身出世を果たします。

 

宦官を一掃することを決意する何進

 

何進は大将軍にまで出世するも、宦官に殺されて彼の人生は幕を閉じます。

 

樊噲(はんかい)

 

今回紹介する樊噲(はんかい)も肉屋の主人として働いておりました。しかし、同郷の劉邦が挙兵すると彼も一緒に参加します。劉邦(りゅうほう)と共に付き従った事で彼の運命を大きく変化し、歴史に名を刻むことになります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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肉屋の主人として家業を営む

劉邦はヤンキー

 

樊噲は劉邦と同じく沛出身の人です彼は朝早く山に入って、山野を駆け回って狗(いぬ)などを捕獲。その後家に帰って解体して店頭に並べ販売する肉屋の主人として真面目に働いていました。劉邦とは親しい間柄で何度も共に飲み歩いたり、遊びに行ったりしている仲間でした。

 

呂雉の妹を嫁に迎える

呂雉(りょち)

 

樊噲は毎日を勤勉に仕事に従事していたある日、劉邦が富豪の呂氏の娘呂雉を嫁にもらいます。樊噲は大いに喜び、彼を祝います。劉邦が結婚して数ヶ月後、呂雉(りょち)は樊噲を家に呼び

 

「妹と結婚してくれないかしら」と相談されます。樊噲は呂雉の申し入れを快諾。こうして話はとんとん拍子に進み、樊噲は呂雉の妹呂須(りょす)を嫁に迎える事になります。この結婚が後の樊噲の運命を大きく分ける事になります。

 

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劉邦の挙兵に参加

劉邦

 

劉邦はその後、沛県の県庁から労働者を驪山(りざん)まで送り届ける役に任命されます。彼は労働者を連れて沛県を出発します。

 

酒を飲み民を逃す劉邦

 

しかし劉邦が連れている労働者たちは驪山に向かう途中に一斉に逃げてしまいます。

 

陳勝・呉広

 

劉邦もその場から逃げ山野に隠れます。劉邦はその後陳勝・呉広の乱が勃発すると、沛県を乗っ取り挙兵します。この時樊噲も劉邦に従い挙兵に参加。劉邦は樊噲を親衛隊の隊長に任命します。

 

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秦を滅ぼし、三つの法を立てる

秦を滅ぼし、三つの法を立てる

 

劉邦はその後各地を転戦しながら兵士を増加させ、ついに秦の首都である咸陽を陥落させ、秦王嬰を降伏させます。こうして劉邦は秦を滅ぼす事に成功します。その後劉邦は秦の宮殿に入り、美女をさらって、酒池肉林を楽しみます。樊噲は酒池肉林に浸っている劉邦に諫言しますが、聞き入れられません。そこで樊噲は張良に「王を諫言してくれ」と頼みます。

 

張良

 

張良は樊噲の言葉を受け入れ、劉邦に諫言します。

 

張良と劉邦

 

彼は張良の言葉を受け入れ、美女と宴をすぐにやめ、秦の首都咸陽を出て、覇上へ駐留します。この地で秦の法を改め三つの法を立てます。

 

張良と劉邦

 

「法は三条のみとする。一つ人を殺した者、二つ人の者を盗んだ者、三つ人に危害を加えた者」この三つを法に立てます。劉邦はこの簡単な法を設立した事で関中の民から歓迎されます。

 

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項伯の侠気がきっかけで劉邦は一命を取り留めた

項羽(はじめての三国志)

 

劉邦は秦を滅ぼすと、関中の出入り口である函谷関を閉めます。項羽(こうう)は劉邦が函谷関を閉め、関中に誰も入れないようにした事に激怒、函谷関を攻撃します。

 

ブチギレる項羽

 

項羽の軍勢に攻撃された函谷関は、すぐに陥落し、項羽軍は関中に入ります。劉邦は項羽が激怒していることに驚き、張良や諸将に相談しますが、いい案が出てきません。そんな中、救世主が登場します。

 

張良と項伯

 

その名は項羽の叔父・項伯(こうはく)です。彼は以前劉邦軍の軍師である張良に助けられた事があり、その恩を返すため、夜中に張良の陣営を訪れます。そこで張良に「明日項羽の軍が劉邦殿の陣を攻撃します。依然あなたに助けてもらった恩を返すため、知らせに参った」と伝えます。張良は項伯に「王は関中に賊を入れないために函谷関を閉じたのです。それ以外に他意はありません。」と説明し、項伯に項羽へ伝えてほしいと依頼します。

 

項伯は「分かった。項羽殿には私から伝えるが、劉邦殿ご自身が謝りに来た方がいい」と告げ、去っていきます。張良はすぐに劉邦の陣営を尋ね、彼に項伯が語った出来事を話し、項羽の陣営を尋ね謝った方が良いという事も伝えます。

 

張良と劉邦

 

劉邦は張良の進言を受け入れ、翌日早朝に樊噲や張良、数十騎の護衛を連れて項羽の陣営を尋ねます。

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