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司馬懿 街亭失陥を知り、孔明は退却すると予想、追撃する
張郃より、街亭を奪還したと聞いた司馬懿は言います。
要路の街亭が落ちた事を知れば、北伐の失敗を悟り必ず兵を引くだろう。
そこを狙って追撃し、蜀を壊滅させるぞ」
司馬懿は出陣を命じて、自身が先頭に立ちます。
孔明、馬謖の布陣から北伐の失敗を悟る
その頃、孔明の下に王平の使者が到着しました。
そして、使者が持ってきた馬謖の布陣を見て、孔明は絶望します。
あれほど山上に布陣してはならぬと申しつけたものを・・・」
孔明は日数から見て、すでに街亭は失陥し、司馬懿は全軍を、
こちらに向けているであろうと察知します。
孔明は僅かな軍を率いて、西城(さいじょう)県の小さな城まで退却しました。
迫る魏の大軍を前に孔明の空城の計 発動
孔明は城に入ると、兵を伏せて、全ての門を開かせました。
そして、周囲を掃除して清めると住民にはいつもと変わらない生活をさせ、
二人の童子を共に、孔明は城壁に登り、香を焚きつつ琴を引きます。
そこに司馬懿の大軍がやってきます。
副官は、「一息に孔明を蹴散らしましょう」と進言しますが、
司馬懿は、開け放っている城と落ち着きはらった孔明を不気味に思います。
司馬懿「おかしい、、孔明は石橋を叩いて渡るような慎重な男だ、、
こんな無防備な城で何の策も無く、じっとしているわけはない・・
これは何か罠があるに違いない、引き上げるぞ」
司馬懿は、やぶれかぶれの孔明の策を深読みし軍を引き上げます。
これが世に言う空城の計でした。
漢中まで退却した孔明は馬謖を斬る
こうして、命からがら漢中まで引き上げた孔明は、
全ての元凶である馬謖を引き出して、その首をはねました。
首になった馬謖を見た時、孔明は声をあげて泣きました。
それを見た蒋琬(しょうえん)は尋ねます。
蒋琬「丞相は、軍律を疎かにしては敵を破る事は出来ないと
お考えになり馬謖を斬りました。
丞相の判断で軍紀は保たれたのです、何故、泣かれます」
やい蔣琬っ!てめえ、血も涙もないのか!!
軍紀は軍紀、師弟の情愛は別だろうが
と思ってしまいますが、孔明の答えは意外でした。
孔明「勘違いしてくれるな、、馬謖を惜しんで泣いたのではない
先帝は、臨終の前に私を呼び、馬謖には口先だけの所があるから
決して、重く用いてはならないと遺言された。
だが、愚かな私は、それを守らず、この結果を招いてしまった。
これは、自分の愚かさを嘆く涙だ・・」
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孔明は自身の階級も3ランク下げる
孔明は、馬謖を処刑しただけではなく、自身の階級も3ランク下げました。
愚かな馬謖を選任した自身も、また愚かであるという決意の表明でした。
いずれにせよ、孔明が満を持した北伐は馬謖の失敗で頓挫したのです。
多くの人命と物資を失い、蜀はしばらくの沈黙を余儀なくされます。
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三国志ライターkawausoの独り事
三国志演義では触れられていませんが、正史で、
街亭で崩れた馬謖に代わり張郃を抑えたのは王平でした。
王平と1000名の部隊は、山に登ってきた張郃軍を相手に
一歩も引かず、軍鼓を鳴らして士気を鼓舞して威嚇しました。
たった1000名で頑張る王平を見た張郃は、
伏兵を疑い、思い切って追撃が出来ませんでした。
これにより孔明の本隊は退却までの時間を稼げたと言います。
また、司馬懿が孔明の空城の計を恐れて退却したというのも、
演義だけのフィクションです。
王平を評価した孔明は、敗戦にも関わらず、
その地位を上げたと言われています。
裏を返せば、街亭で粘った王平の働きが大きかった事を
物語っていると言えますね。