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123話:馬謖痛恨のミス!!泣いて馬謖を斬る孔明

2016年4月9日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬懿 街亭失陥を知り、孔明は退却すると予想、追撃する

孔明と司馬懿

 

張郃より、街亭を奪還したと聞いた司馬懿は言います。

 

司馬懿「孔明は慎重な男だ、、天水と長安、そして成都を繋ぐ、

要路の街亭が落ちた事を知れば、北伐の失敗を悟り必ず兵を引くだろう。

そこを狙って追撃し、蜀を壊滅させるぞ」

 

司馬懿は出陣を命じて、自身が先頭に立ちます。

 

孔明、馬謖の布陣から北伐の失敗を悟る

孔明

 

その頃、孔明の下に王平の使者が到着しました。

そして、使者が持ってきた馬謖の布陣を見て、孔明は絶望します。

 

孔明「嗚呼、なんという愚かな事を、馬謖、、

あれほど山上に布陣してはならぬと申しつけたものを・・・」

 

孔明は日数から見て、すでに街亭は失陥し、司馬懿は全軍を、

こちらに向けているであろうと察知します。

孔明は僅かな軍を率いて、西城(さいじょう)県の小さな城まで退却しました。

 

迫る魏の大軍を前に孔明の空城の計 発動

孔明と司馬懿

 

孔明は城に入ると、兵を伏せて、全ての門を開かせました。

そして、周囲を掃除して清めると住民にはいつもと変わらない生活をさせ、

二人の童子を共に、孔明は城壁に登り、香を焚きつつ琴を引きます。

 

そこに司馬懿の大軍がやってきます。

副官は、「一息に孔明を蹴散らしましょう」と進言しますが、

司馬懿は、開け放っている城と落ち着きはらった孔明を不気味に思います。

 

司馬懿「おかしい、、孔明は石橋を叩いて渡るような慎重な男だ、、

こんな無防備な城で何の策も無く、じっとしているわけはない・・

これは何か罠があるに違いない、引き上げるぞ」

 

司馬懿は、やぶれかぶれの孔明の策を深読みし軍を引き上げます。

これが世に言う空城の計でした。

 

漢中まで退却した孔明は馬謖を斬る

馬謖 孔明

 

こうして、命からがら漢中まで引き上げた孔明は、

全ての元凶である馬謖を引き出して、その首をはねました。

 

泣いて馬謖を斬る

 

首になった馬謖を見た時、孔明は声をあげて泣きました。

それを見た蒋琬(しょうえん)は尋ねます。

 

蒋琬「丞相は、軍律を疎かにしては敵を破る事は出来ないと

お考えになり馬謖を斬りました。

丞相の判断で軍紀は保たれたのです、何故、泣かれます」

 

やい蔣琬っ!てめえ、血も涙もないのか!!

軍紀は軍紀、師弟の情愛は別だろうが

と思ってしまいますが、孔明の答えは意外でした。

 

孔明「勘違いしてくれるな、、馬謖を惜しんで泣いたのではない

先帝は、臨終の前に私を呼び、馬謖には口先だけの所があるから

決して、重く用いてはならないと遺言された。

だが、愚かな私は、それを守らず、この結果を招いてしまった。

これは、自分の愚かさを嘆く涙だ・・」

 

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孔明は自身の階級も3ランク下げる

孔明

 

孔明は、馬謖を処刑しただけではなく、自身の階級も3ランク下げました。

愚かな馬謖を選任した自身も、また愚かであるという決意の表明でした。

いずれにせよ、孔明が満を持した北伐は馬謖の失敗で頓挫したのです。

 

多くの人命と物資を失い、蜀はしばらくの沈黙を余儀なくされます。

 

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三国志ライターkawausoの独り事

kawauso 三国志

 

三国志演義では触れられていませんが、正史で、

街亭で崩れた馬謖に代わり張郃を抑えたのは王平でした。

王平と1000名の部隊は、山に登ってきた張郃軍を相手に

一歩も引かず、軍鼓を鳴らして士気を鼓舞して威嚇しました。

 

たった1000名で頑張る王平を見た張郃は、

伏兵を疑い、思い切って追撃が出来ませんでした。

 

これにより孔明の本隊は退却までの時間を稼げたと言います。

また、司馬懿が孔明の空城の計を恐れて退却したというのも、

演義だけのフィクションです。

 

王平を評価した孔明は、敗戦にも関わらず、

その地位を上げたと言われています。

裏を返せば、街亭で粘った王平の働きが大きかった事を

物語っていると言えますね。

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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