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曹操の誤解を解く!荀彧を殺したのは本当に曹操なの?

この記事の所要時間: 532




荀彧

 

生まれながらに帝王を補佐する王佐の才を持つと評された

荀彧文若(じゅんいく・ぶんじゃく)

曹操(そうそう)に「我が子房」とまで言われた彼は、

西暦212年、曹操が魏公に昇進する直前に病死します。

 

その奇妙なタイミングの悪さから荀彧は曹操の魏公昇進を

「漢王朝を衰退させ滅ぼす行為」と考えて反対し、

曹操との間に根深い確執が生まれたと言われ、

三国志演義の空箱の故事のように曹操が不要になった荀彧を

毒殺させたという風説が流れました。

 

しかし、それは本当なのでしょうか?

魏書 荀彧伝を読みながら、疑惑の真相を追ってみましょう。

 

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荀彧は曹操の魏公就任を反対していたのか?

荀彧

 

荀彧は、叔父の荀爽(じゅんそう)が後漢の司空になったという程の名門です。

大宦官、曹騰(そうとう)の孫という、出世競争の世界では

何の自慢にもならない上に、妨げにさえ成りうる血筋の曹操とは

雲泥の家柄の差と言えるでしょう。

 

その事から、荀彧は後漢王朝に誇りを持っていて、また自身も、

献帝の侍中という立場でもあった事から、曹操の魏公昇進を、

将来の魏王朝建国の伏線として捉えて、これに反対したという

筋書きが語られています。

 

その有名な文章が、董承(とうしょう)等が曹操の長年の功績を顕彰するために

九錫(しゃく)を与えるべしと荀彧に内諾を求めた時のこの部分です。

 

※ちなみに九錫とは、皇帝が使用している9種類のレアアイテムと同じモノを

贈られるという事で、歴史上、限られた人物しか受けていない特典の意味。

 

原文:彧以為太祖本興義兵以匡朝寧國、秉忠貞之誠、

守退讓之實 君子愛人以德、不宜如此

 

意味としては、以下のようになります。

 

「太祖(曹操の事)は元々、天下の乱れに義憤を感じて、

義兵を起こして国を安定させ、漢室に仕える気持ちは篤く、

もって謙虚であり分際を知る人である。

君子というのは身分ではない、恩愛、徳により人を愛するものだ。

それが、九錫を与えて顕彰など相応しくない・・」

 

なるほど、この文章を見る限り、いかにも荀彧は曹操の魏公昇進を

嫌がっているように感じます。

しかし、この頃より少し時を遡ると、また事態は変化するのです。




荀彧は、曹操が九州を制定しようとした時には時期尚早で反対した・・

曹操

 

西暦204年、曹操は、袁家(えんけ)の本拠地であった

鄴(ぎょう)を陥落させ冀州(きしゅう)を領有しました。

弱小だった曹操が北の袁家を圧倒した瞬間ですが、

この時に家臣の中に、

 

「古の九州を復活させてはいかがでしょうか?

そうすれば、冀州の範囲は広大になります」

 

と助言するものがいました。

 

九州とは、古の時代の中華の分割の方法でした。

三国志の時代には13州でしたから、これを9州にすると、

冀州の範囲が巨大になり、曹操は領地を労せずして拡大する

という事になり、大いに乗り気でした。

 

ところが、これに荀彧は反対します。

 

「今、殿はようやく冀州を平定したばかりだと言うのに、

九州を復活させるのは、得策ではありません。

もし、九州を復活させると、河東(かとう)、馮翊(ふうひょう)、
扶風(ちっぷう)、西河(さいが)、幽州(ゆうしゅう)、

幷州(へいしゅう)は冀州の範囲になりますが、

これらの多くは、いまだ我が軍の勢力にはありません。

 

そうなると、ようやく平定した冀州に再び、軍馬を走らせる

事になり、ようやく冀州を平定した意味が消えます。

 

それに、これらの地を平定するのに、時間を割けば

やっと北に追い払った袁尚(えんしょう)や袁熙(えんき)は

息を吹き返してしまいますぞ」

 

曹操は、理路整然とした荀彧の説得で、

九州を制定するのは、現時点では、ぬか喜びだと悟り、

以後、九州の話をしなくなります。

曹操、かなりおっちょこちょいですね。

 

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九州の制定は、天子の成すべき事だが、荀彧は反対していない・・

曹操と荀彧

 

そもそも、九州を制定するのは、時の天子の仕事だとされています。

それを臣下に過ぎない曹操が勝手に制定しようなどというのは、

重大な越権行為であると言えるのです。

 

本当に荀彧が、漢室に忠実な臣であれば、曹操が九州を制定する

と口にした時点で、帝に対して不忠!!と言わないといけません。

 

しかし現実には、荀彧は、そんな否定はせず、、

冀州を拡大すると、攻めないといけない土地が増えて、

ようやく平定したのが無意味になりますよ。

としか、言っていないわけです。

 

つまり、そのような悪条件がないなら、荀彧は、

曹操が九州を制定するぞ、と宣言したとしても、、

 

「あ!いーっすね、、自分も頃合いだと思いまス」

 

としか言わなかったのではないかと思います。

 

荀彧が曹操の魏公就任に反対した理由も時期尚早だった

荀彧

 

この九州制定のいきさつを踏まえて、荀彧がどうして、

曹操の魏公昇進を反対したかを考えると、

つまり、荀彧は、曹操の魏公昇進自体を反対したのではなく、

九州制定と同様に、まだそれは、早いよぉ~」と言う

意思表示では無かったのではと思えるのです。

 

事実、曹操は、儒教イデオロギーに真っ向から反する唯才令(いさいれい)などを

発布して、儒者のテリトリーから人材推挙の権限を取り上げるなどし

後漢王朝において、隠然たる勢力を持ち続ける、地方に割拠する

名士・豪族から反感をかっていました。

 

曹操の生前、魏王就任あたりから、魏楓(ぎふう)のように関羽に呼応して、

鄴で反乱を起こし、曹操を打倒して、儒者の天下を取り戻そうという

クーデターも起きていたりするのです。

 

その状況で、魏公、そして魏王と歩みを進めると、魏と、

儒者の名士達との対立は決定的になり、曹操は求心力を失い

早い段階で、滅亡するのではないか?

 

荀彧は、それを考え、早すぎる曹操の魏公就任に、

難色を示したのでしょう。

【次のページに続きます】




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