孫家三代もメロメロ、実は周瑜と双璧の名将 程普の伝説

2016年8月2日


 

周瑜と程普

 

程普(ていふ)は字を徳謀(とくぼう)と言い、孫家三代を支えた呉の重臣です。

周瑜(しゅうゆ)陸遜(りくそん)に比べると活躍が地味に描かれますが、

いずれも孫家の苦しい時期を戦い抜いての功績であり決して周瑜や陸遜には劣りません。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫堅に仕えて呂布と胡軫と華雄を撃破

程普

 

程普は、右北平土垠(どこん)の人です、最初は州郡の吏になり、容貌が立派で

計略に巧みでした、たまたま、孫堅(そんけん)の知遇を得てその配下に加わります。

その後、孫堅に従い、黄巾賊の討伐に手柄を立て、続けて、

董卓(とうたく)連合軍に参加した孫堅と共に陽人という城で

呂布(りょふ)胡軫(こしん)、華雄(かゆう)を撃破します。

 

この時に程普はかなりの重傷を負いながら勝利したとされます。

大変に激しい戦いだった事が推測できます。

董卓は、この敗戦に恐れを抱き、孫堅を懐柔しようとしますが、

尊王の志に厚い孫堅は、これを拒否、董卓は洛陽に火を放ち

長安に遷都してしまいます。

 

三国志演義では、劉備(りゅうび)三兄弟の手柄にされますが、

実際に董卓を撤退させたのは、孫堅、そして彼の側で奮戦した程普の手柄です。

 



孫堅の死後は孫策に仕える

孫堅

 

飛ぶ鳥を落とす勢いの孫堅ですが、劉表(りゅうひょう)と仲たがいして、

江夏の黄祖(こうそ)を攻めている途中、伏兵にあい射殺されます。

こうして孫堅軍は瓦解しますが、孫堅の遺児、孫策(そんさく)

孫堅の上司である、袁術(えんじゅつ)を頼り再起を図ろうとします。

 

孫策

 

袁術は、元孫堅軍の将を吸収し、程普や黄蓋(こうがい)を、

自軍の部将として使いますが、やがて孫策が頭角を現し

元の父の部下達を引き連れて独立します。

盧江攻略から、会稽郡を奪取するまで孫策は休みなく戦い続け

10を超える城を落としますが、その傍らには必ず程普がいました。

孫策は程普の功績に、兵2000名と馬50頭で報い、

会稽郡の守備を任せて、銭唐に役所を置いて統治させました。

 

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頑張っていた程普だが、周瑜よりは地位が下だった・・

周瑜、孫策、程普

 

同じころ、孫策は周瑜を部下にして断金(だんきん)の交わりを結んでいました。

断金とは金属を断つ程に堅い友情を意味しています。

周瑜は名門であり、かつて困っていた孫策を援助した事もあり

この頃、周瑜に建威中郎将という称号を与えています。

一方で、程普には、そのような称号はありませんでした。

 

程普は、孫権時代、若輩の周瑜を侮り無礼な態度を隠さなかった

というような記述がありますが、程普は温厚な人であり、

若輩だからと意地悪をするような人ではありません。

 

ですので、この時の待遇の違いで、周瑜を恨んでいたのが、

初期の仲たがいの原因だったのかも知れません。

 

敵の包囲から孫策を救った事も・・

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

孫策は戦場では、大抵無茶をする武将でしたが、ある時も祖郎(そろう)が率いる

一揆軍の大軍に包囲されて孤立した事がありました。

それを見ていた程普は、たった二人の騎兵で大声を上げて一揆軍に突撃

驚いた一揆軍は包囲に穴をあけてしまい、その隙に孫策は脱出できました。

危ない所でしたが、孫策は程普の機転で命拾いしたのです。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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