漫画や映画、テレビに関わらず主人公が存在する作品では多かれ少なかれ噛ませ犬役が存在しています。本来、噛ませ犬とは戦いの経験がない若い犬に、わざと弱い犬と戦わせ相手を噛ませる事で勝利の味を覚えさせる技術の事を意味しました。
しかし、次第に意味が変質し、漫画では主人公的なキャラクターに一見強そうに見えるように盛り上げた敵をぶつけて瞬殺させ、主人公の強さを強調する手法を意味するようになってしまいます。
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漫画史に残る華麗な噛ませ犬達
噛ませ犬として非常に有名なのは、ドラゴンボールのコルド大王でしょう。あの宇宙の帝王フリーザの父として地球に降臨、トランクスと対峙するも機械化してパワーアップした筈のフリーザはトランクスの剣でバラバラにコルド大王は、トランクスの剣こそが脅威だと勘違いして、剣を取り上げ急に強気になりますが、やはりトランクスに瞬殺されました。
歴史漫画キングダムに登場した劇辛なども噛ませ犬です。燕の劇辛の場合、龐煖のような存在とは何度も遭遇し返り討ちにしたと豪語しながら遭遇した龐煖に為す術なく瞬殺されています。これらの噛ませ犬キャラに共通するのは、主人公的なキャラと戦うまでは規格外や桁違いの強さ、○○に匹敵すると期待を盛り上げるだけ盛り上げ一コマで瞬殺されてしまうギャップ効果です。ですが、多用すると読者の方も慣れてしまい、よほど巧妙にやらないと「あーやっぱりな、、」とギャグ要素で取られてしまうので当たれば効果は高いとはいえ、迂闊に使えない手法ではあります。
趙雲の噛ませ犬麴義
麴義は有能な将軍であり正史では韓馥の配下として登場し、後に袁紹に乗り替え異民族の騎馬戦術を熟知した武将として、界橋の戦いでは800の歩兵を率い、1000挺の強弩兵の支援を受けながら、白馬義従1万を撃破し敵将、厳綱を斬り、公孫瓚の本陣を蹂躙して、公孫瓚軍を敗走させました。
さらに、取って返して公孫瓚の弓騎兵に包囲された袁紹を救うという大戦果を挙げて大活躍しています。195年の鮑丘の戦いでも公孫瓚を撃破し公孫瓚が本拠地薊を放棄して易京に籠城する切っ掛けも生み出しています。その後、軍令違反で袁紹に処刑されたとはいえ、実績においては、顔良や文醜を遥かに凌いでいる人物です。
ところが麴義の知名度は、三国志演義ではほぼ無名に近いモノです。いえ、界橋の戦いにおいて公孫瓚を破る所までは三国志演義も、麴義の事績を踏襲しているのですが、その後、無名の趙雲に見るも無残な負け方をした為に、功績をほぼ趙雲に奪われたのです。
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麴義の見せ場が趙雲大活躍に改竄された界橋の戦い
三国志演義において、界橋の戦いの功労者は麴義ではなく趙雲になっています。あらすじを簡単に説明しますと公孫瓚と袁紹は界橋で本格的に激突公孫瓚は白馬義従五千を羽翼の陣にし先陣を厳綱に任せます。これ以前に趙雲は文醜の槍から公孫瓚を救った手柄で公孫瓚軍に在籍していますが「どこの馬の骨か分からんので信用できん」という理由で前線には出されず後詰めを余儀なくされていました。一方で袁紹は800の弩兵を率いる麴義を中央に置き、一千の石弓部隊を顔良と文醜に率いさせ、白馬義従を十字砲火で攻撃するように命じます。さらに中軍として歩兵1万五千を麴義に従わせました。そして袁紹は数万の歩兵を率いて数キロ後方に控えています。
※ちなみに正史では、麴義の率いているのは歩兵800だけで中軍一万五千はなく
一千の石弓を率いる武将が顔良や文醜であるという記録はありません。
両軍はにらみ合ったまま動かず、痺れを切らした厳綱が白馬義従を率い突撃そこに麴義、顔良、文醜が集中的に矢を浴びせかけます。怯んだ厳綱は、馬首を巡らして退却しようとしますが麴義が薙刀で厳綱を斬り伏せて倒しました。
左右の白馬義従は厳綱を救おうとしますが、顔良、文醜の石弓に阻まれて前進できず、じりじり橋の近くまで退却します。勢いに乗った麴義は公孫瓚の本陣に踏み込んで旗係の将校を斬り、牙門旗(本陣旗)を押し倒してしまいます。
それを見た公孫瓚は敗北を悟り、また一騎だけで橋を降りて逃走(演義の公孫瓚はやたら逃げるシーンがあります)麴義は逃がすかとばかりに後方から追いすがります。この辺りまでは、概ね史実と同じですが、ここから三国志演義は大掛かりなフィクションを仕掛けます。後詰で出番のない趙雲が麴義の前に立ちはだかるのです。
麴義を斬り殺し袁紹を追い詰める界橋の趙雲
さて、趙雲、公孫瓚を守るべく麴義の前に立ちはだかり、槍を扱くと馬を躍らせ僅か数合で麴義を突き殺してしまいます。これだけでも、なかなか美味しい役ですが演義の趙雲アゲはこんなもんじゃない。ここから趙雲、仲間の仇を討つとばかり単騎で馬を躍らせて、雲霞のごとき袁紹軍に突撃するのです。それも強い強い、誰も趙雲にかすり傷一つつけられず、まさに無人の野を行くが如し、後の長坂一騎駆けの再現が界橋でも炸裂!それを見た公孫瓚、「それ趙子龍に続け!」と自軍を鼓舞し形成は逆転
袁紹は、はるか後方で麴義が牙門旗を倒したという報告を聞いて、「公孫瓚弱いなぁ~」と寛いでいる所に突然に趙雲が出現したので仰天味方も5~6名が次々に倒され、さらに公孫瓚の軍勢まで出現します。
田豊は袁紹に築地の陰に隠れるように指示しますが、袁紹は「命を惜しんでまで生きていたくない」と啖呵を切って奮戦、ここから顔良が戻ってきて、趙雲は不利になり公孫瓚を庇いながら逃げて界橋を下って逃げて行きます。怒り狂う袁紹は、再度、軍を編成して公孫瓚と趙雲を追いかけ再び、界橋を越えて公孫瓚軍を蹂躙し沢山の公孫瓚軍の兵が川に落ちて溺死したという形で三国志演義の界橋の戦いは終わります。
史実を読み込み巧妙にフィクションを混ぜた三国志演義
この界橋の戦いに趙雲が参加したというような記録はありません。ですので、麴義が趙雲に突き殺されたという事実もなくもちろん、公孫瓚が趙雲の活躍に勇気を得て再び逆襲した事もないです。しかし、追い散らされた公孫瓚の騎兵の一部が後方で少人数で待機していた袁紹に襲いかかったという記録は残っています。
この時に襲いかかった騎兵は二千、袁紹の供回りは百余りでしたが、袁紹は隠れるように進言する田豊を拒否して奮戦して弓で対抗しそこに麴義が戻ってきた事で窮地を脱しています。
三国志演義の原作者達は、私達が考える以上に正史三国志を読みこみ袁紹を襲撃した公孫瓚の騎兵を趙雲に読み替えて活躍の場を作ったのです。しかし、趙雲爆アゲの結果、麴義は趙雲と、顔良、文醜に手柄を奪われ、趙雲に斬られただけの噛ませ犬になってしまったのでした。
趙雲の噛ませ犬?正史における麴義のアンビリバボーな大活躍は↓読めます。
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三国志演義より扱いがムゴい蒼天航路の麴義
蒼天航路にも麴義は出てきますが、ここでも趙雲の引き立て役です。しかも、三国志演義よりも扱いがムゴいモブキャラ扱い初登場は、コミックス7巻、其八十三、静かなる猛将という趙雲初登場の回、麴義は17pと18pに猿顔をした武将として登場しますが
「おおッ 公孫瓚の軍にも少しはいきのいいのがい ・・たかッ」
というセリフを残して趙雲に馬ごと真っ二つにされて絶命します。舞台は、どうやら界橋の戦いの初日のようですが、可哀想な事に麴義がどういう人物か説明するシーンは一切なく一片のセリフと猿顔の武将というアイコンだけが全てです。
それなのに袁紹サイドは、どよめき、「麴義が、、あの麴義が一刀の下に切り捨てられた」と大変な動揺ぶりで逆に公孫瓚はイケイケになります。いやいやいや!そんなにどよめくような重要人物ならもう少し伏線入れて麴義を説明しようよ。界橋の戦いの手柄も何も無しに、ただ趙雲に斬られる為に出現なんてあまりにも麴義が可哀想すぎやしませんかァ(泣)
三国志ライターkawausoの独り言
蒼天航路と言えば、麴義ばかりではなく、正史では曹操も孫堅も一度撃破した徐栄も呂布が董卓の赤兎馬に乗ろうとしたのを制止しようとして頭を握りつぶされる無残な最期を遂げました。華雄も、三国志演義とは別の最期で、関羽に斬られるのではなく、理由あって孫堅軍に参加した夏侯惇に一撃で斬り殺されています。まあ、徐栄は曹操軍をかなり苦しめる描写があった後での頭グシャですがそんなの徐栄にさせなくてもモブキャラで良かったんでない?
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