もし曹操が劉備と入れ替わったらどうなる?【三国志もしもシリーズ】


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曹操と劉備

 

三国志最強のライバル、曹操(そうそう)劉備(りゅうび)、かたや金持ちのボンボンで卑賤な宦官の孫、曹操かたや貧しい(むしろ)売りだけど、実は漢室の末裔である劉備。

対照的な出自の二人は、群雄割拠の時代の中でライバルを蹴落とし魏と蜀を建国します。

そこで、好評なもしもシリーズ、もしも、曹操と劉備が何らかのアクシデントで人格が入れ替わってしまったら、三国志はどうなるのでしょうか?

 

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西暦199年落雷を機に二人の人格が入れ替わった!

 

西暦199年、呂布によって徐州を追われていた劉備は曹操に助けを求めました。

当時、許に献帝を迎えて調子こいていた曹操は、寛大に劉備を迎え入れて大好きな英雄談義をしていました。

「天下に英雄は君と余だけだ、他は取るに足らない!」

曹操がドヤり、劉備が野心を見抜かれたかも・・と匕箸を落とした途端、天の気まぐれで、雷がドーンと2人の上に落ちてしまったのです。

 

曹操が目を醒ますと、あらビックリ、自分の目の前で見た事がある小男が焼け焦げて髪を縮れさせているではありませんか!

おまけに、曹操が少し左右を向くと、大きな耳たぶがぶらぶらします。

 

「なんだこれは!劉備が俺で、俺が劉備で・・摩訶不思議アドベンチャー!」

 

劉備になってしまった曹操は、同じく曹操になってしまった劉備を起こします。

 


 

曹操になった劉備は、劉備抹殺命令を出す

 

落雷に気づいて、荀彧(じゅんいく)郭嘉(かくか)や、夏侯惇(かこうとん)が集まってきました。

「おい、お前達、聞いてくれ!わしは見た目は劉備じゃが本当は曹操なのだ」

 

しかし、当然の如く、皆ポカーンとして見ているだけです。

「おい!玄徳、お前からも何とか言ってくれ!」

その時です、曹操になった劉備は言い放ちました。

 

「夏侯惇!劉備を縛り上げて処刑しろ!こやつは、私を酒に酔わせて刺し殺そうとした」

 

「なにを言うんだ!玄徳、この恩知らず!お前達、信じるな、わしが曹操じゃ」

 

劉備になった曹操は必死に訴えますが、もちろん通じるわけありません。

たちまちの間に追っ手に囲まれた曹操は、自分を守る為にやむなく剣を抜き馬を奪って許を逃げ出しました。

もちろん、曹操と劉備が入れ替わっているなんて夢にも思わない、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)も、「どうしたんだ兄者?」と言いながら後をついていきました。

 

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劉備になった曹操は劉表を頼る

 

一瞬にして築き上げた地盤を失い、少しの部下と数百の兵だけになった曹操我が身の不運を嘆きますが、ひとしきり泣いたら悟りました。

 

「しゃーないわい、これからは玄徳の人生を生きるのみ・・」

 

ケロッとした曹操は、早速関羽や張飛を集めて今後の方針を考えます。

関羽や張飛は、曹操に対抗する為に、今にも戦争を始めそうな袁紹(えんしょう)のサイドについて、徐州を陥れて挟撃作戦を提案します。

しかし、劉備になった曹操はあっさり却下しました。

 

「お前達は浅いのぅ、、袁紹の客将になって曹操と戦って仮に勝っても天下を獲るのは袁紹になるだけじゃ、わしらはその配下として、

顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)よりも下につけられるんじゃぞ、命を賭けて戦うのに、割に合わんと思わんか?」

 

突然、現実的な事を言い出した劉備に関羽や張飛はポカンとします。

 

曹操は、

「いつまでも傭兵隊長などやっていても先は見えている。

小さくても、どこかの頭にならんといかんのじゃ」と言い出し同族の(よしみ)を利用して、荊州の劉表を頼る事にします。

 

なんだか違和感を感じる張飛と関羽ですが、いつまでも根無し草で放浪するよりは、ちゃんと地盤があった方が暮らしも安定するので

劉備に従うようになりました。


  

 

 

劉備になった曹操、蔡帽と結び劉表政権を乗っ取る

 

劉備になった曹操は、

「曹操の脅威から荊州を防衛してみせましょう」と甘言を弄して劉表に取り入ります。

 

優柔不断で猜疑心が強い劉表の性格を劉備になった曹操は知り尽くしているので、表面上は新野の城を平和に守っている顔をしながら、

裏では最大派閥である蔡瑁(さいぼう)に取り入り、劉表が生きている段階から、その勢力を削ごうとします。

 

そして、自分が荊州を乗っ取る上で邪魔になりそうな劉琦(りゅうき)を適当な理由をつけておびき寄せ、殺害してしまいました。

こうして、劉表の後継者を劉琮一本に絞る事に成功した劉備になった曹操は、蔡瑁と協力して劉琮を盛り立て、とうとう劉表を隠居に追い込みます。

 

この頃になり、蔡瑁は劉備が底知れない奸知に長けている事を知り、荊州を乗っ取られる前に排除しようとしますが、

すでに曹操は劉表の家臣団を完全に抱き込み、逆に蔡瑁を劉琦の命令で来朝させると、劉表を強引に隠居させた罪を全て蔡瑁になすりつけ

誅殺しました。

 

まもなく、劉表も原因不明の病気で死去、、

いよいよ自分の身も危うくなったと感じた劉琮は、劉備になった曹操に自身の地位を譲ると言い出します。

曹操は形式上、何度かこれを辞退した上で、渋々荊州牧の地位を受けました。

劉備になってから五年で曹操は、荊州を乗っ取ったのです。

 

この頃になると、劉備になった曹操のあまりの奸知に関羽や張飛は、違和感を隠さなくなりました。

しかし、曹操は元々、侠で繋がる人間関係を重視していませんでしたので意に介さず、去るなら去るに任せたので、張飛や関羽、簡擁が去ります。

関羽が去った時だけ、ちょっと後悔しました。

 

一方で、劉備になった曹操は、荊州から積極的に人材を登用し王威(おうい)王粲(おうさん)蒯越(かいえつ)蒯良(かいりょう)霍峻(かくしゅん)黄忠(こうちゅう)文聘(ぶんぺい)魏延(ぎえん)等を登用。

以前のように参謀本部を置いて、対曹操戦略を論議させ北は文聘、黄忠、魏延などを配置して守らせ、南では、劉表に疎まれていた黄祖(こうそ)

厚遇してやり、その水軍を強化しました。

 

曹操になった劉備、あれよあれよで天下に王手

 

劉備になった曹操が乱世の奸雄よろしく、着々とのし上がっている頃、曹操になった劉備は、そこそこに史実の曹操の事績をなぞっていました。

実際には、曹操ほどの軍略を有しない劉備ですが曹操が制度化した軍師システムのお陰で今後の戦略プランは荀彧、郭嘉、荀攸(じゅんゆう)賈詡(かく)などに

次々と立案され、劉備になった曹操は二つ返事でこれを採用しました。

 

そもそも、つい昨日まで傭兵隊長だったのですから、十年先の国家の運営方針なんか、劉備にあるわけないのです。

だから自主的に部下が持ってくる完璧なプランに内心感心しきりで(部下が関羽や張飛だけだったら俺死ぬまで傭兵隊長だったな)と

しみじみと天の配剤に感謝しました。

 

さらに、なんとなく侵し難い威厳を持つ劉備曹操は、そのカリスマ性でシステマチックな魏の文武百官を心服させていました。

同時に、献帝に対する扱いなども、かなり良くなったので、荀彧などは「私の教育がようやく実りました」と感慨深げです。

 

官渡の戦いでは兵糧の乏しさに思わず妻子と部下を置いて逃亡する悪癖が出そうになりましたが、考えてもしょーがねえやで尻をまくり

官渡城でヤクの毛を織っている間に、袁紹の陣営から許攸が投降。

烏巣に袁紹軍の食糧倉庫があるという情報を得たので第六感で真実と判断し、自ら率先して騎兵を率いて烏巣を焼き、ついに袁紹を打ち倒したのです。

 

その後の方針については、なんだかヤクザっぽい郭嘉と気が合い彼に任せたので、なんだか分からない間に袁尚(えんしょう)袁譚(えんたん)が争うようになり

気がついたら自滅していました。

こうして、西暦208年には、曹操になった劉備は、中華の大半を制圧。

めぼしい敵は、荊州を握る劉備(曹操)と長江以南を支配する孫権(そんけん)だけになっていたのです。

 

劉備になった曹操、曹操になった劉備を食い止める

二刀流の劉備

 

曹操になった劉備は、自分の秘密を知る曹操になった劉備だけは、確実に抹殺しておかないといけないと思いました。

こうして、荊州を奪取しようと、大軍で攻撃を開始します。

 

しかし、曹操になった劉備は十分な戦争準備を整えていました。

国内の人心を掴むべく、曹操は新野に劉琮を派遣して防衛させ、あえて、あまり援軍を送らず曹操軍に負けて敗死するに任せました。

 

それを知った曹操になった劉備はショックをうけたような顔をし、二十年もの間、荊州を守って来た劉表の血を引く劉琮を無下に殺害した

曹操になった劉備の非道を詰りました。

これは、効果てきめんで劉琮の死を嘆き悲しんだ荊州の民衆と将兵は敵愾心を前に出していきます。

ですが、長年、太平に慣れた荊州の兵は次第にじわじわと曹操軍に追い詰められていきます。

 

すべては作戦だった劉備になった曹操、曹操になった劉備を破る

 

曹操になった劉備は、じりじりと前線を背後に下げていきます。

襄陽も陥落し、劉備になった曹操に投降する荊州兵も出てきました。

しかし、それもこれも全て劉備になった曹操の計略でした。

 

劉備になった曹操は、陸上兵力では曹操軍に勝てない事を承知し、戦いを長江まで引っ張ろうと考えていました。

その為に極秘に、孫権と秘密同盟を結び曹操軍がこの勢いで長江を越える事を望んでいたのです。

 

連戦連勝する曹操になった劉備に慢心が出てきました。

このまま一気に呉も滅ぼせば、再び、天下は漢の下に統一される。

焦った曹操になった劉備は珍しく、配下の反対を押しきり、急造の水軍を編成して長江を渡り、虫の息になった劉備になった曹操を破り

その余勢を駆って、呉まで滅ぼそうと強引に河を渡ります。

 

この瞬間、曹操になった劉備から天の時が去りました。

 

劉備になった曹操は、黄祖に率いらせた頑強な水軍を前進させてにわか造りの魏の船団を攻撃、これに呉の甘寧や周瑜なども加わり、

曹操軍は行く事も引く事も出来なくなり、船と船をぶつけて次々と沈没。

そこに、荊州軍と呉軍は共同で火攻めをし魏軍は火に包まれました。

大敗北を悟った曹操になった劉備は、紅蓮の炎を上げて燃える全てを投げ捨てて、馬に乗って鄴に逃げて行きました。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

大敗した曹操になった劉備ですが、それで横暴になる事もなく、自分の失敗を素直に認め、後始末を部下に任せました。

曹操は斉の田単(でんたん)のように魏軍に奪われた荊州の領地を全て回収しますが激しい戦乱に曝された荊州の荒廃は深刻で、

すぐに魏領に進撃する力は残っていませんでした。

 

結局、劉備になった曹操は国力の拡大を考えて天険蜀の地を望み劉璋を下したり、漢中の張魯を降伏させたりしている間に寿命が来てしまい

ついに天下統一を果たせず亡くなりました。

 

一方の曹操になった劉備は、赤壁での敗戦後は目立った外征をせずに国力の強化に努め、後継者を曹丕に決めてから病死しました。

二人の死後は蜀の領地が荊州と益州で少し大きい事と、諸葛亮が登場しない事等は違いますが、それ以外は

大体、史実通りの三国志が展開していく事になります。

 

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