呂布の英雄伝説を分かりやすく紹介

2019年10月29日


 

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酒を飲む曹操、劉備、孫権

 

三国志にはさまざまな英雄たちが登場します。

覇道の英雄、曹操(そうそう)

仁義の英雄、劉備(りゅうび)

智謀の英雄、諸葛亮(しょかつりょう)

 

野球をする呂布、孔明、劉備

 

そんな中、武勇の英雄と言うと多くの人が思い浮かべるのが、呂布(りょふ)です。呂布は偏りのある能力と性格で、たった1人で状況をかき回し続け、はかなく消えていった天下無双の人物でした。

 

李広

 

漢の将軍、李広(りこう)李信(りしん)の孫)になぞらえて「飛将軍(ひしょうぐん)」とも呼ばれた呂布の英雄伝説を紹介します。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張飛、関羽、劉備の3人を相手にする呂布奉先

董卓と呂布

 

暴虐の限りを尽くす董卓の養子となった呂布は、『三国志演義』では、汜水関(しすいかん)を破り勢いに乗る反董卓連合軍を虎牢関(ころうかん
)
で迎え撃ちます。無類の武勇を誇る呂布と、彼の精強な騎馬隊の前に連合軍はまったく歯が立たちません。

 

苦笑いするしかなかった公孫サン(公孫瓚)

 

方悦(ほうえつ)穆順(ぼくじゅん)武安国(ぶあんこく)と立て続けに討ち取られ、一軍の将だった公孫瓚(こうそんさん)も呂布に追い立てられます。そこに劉備の義兄弟の張飛(ちょうひ)が割って入りますが、やや張飛は押され気味。

 

呂布VS劉備三兄弟

 

弟を助けるために関羽(かんう)と劉備も参戦します。関羽は汜水関の戦いで華雄を打ち取り、武名をとどろかせたばかりでしたが、それでも呂布は3人を相手に打ち合いを演じます。次第に劣勢にとなって退くことになるものの、関羽と張飛、それに劉備が同時に打ちかかっても呂布を打ち取ることはできなかったのです。

 

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

おそるべし!

ちなみに『正史三国志』には、汜水関と虎牢関の戦いは記載がありません。

 

逆族董卓を打ち取る呂布

貂蝉と呂布

 

その後、反董卓連合は内部分裂により崩壊してしまいます。正史ではこのころ呂布が董卓の侍女に手を出してしまい、それが発覚するのを恐れて、宮廷の高官、王允(おういん)に相談を持ちかけます。

 

王允と呂布

 

董卓の独裁が続くことに危機感を募らせていた王允は、董卓に殺されてしまう前に殺してしまうよう呂布に助言します。

 

王允と呂布

 

演義で董卓と呂布の2人を手玉に取り、仲を引き裂いた「美女連環の計」の立役者となる貂蝉(ちょうせん)のモデルはこの侍女ではないかと言われています。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

いずれにしても、王宮に呼び寄せられて1人になった董卓を、呂布はあっさり打ち取ったのでした。しかし、古くから董卓の配下だった郭汜(かくし)李傕(りかく)に攻め立てられ、都の長安から逃れることになります。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

呂布の人気があまりないのは、丁原(ていげん)に続き、董卓と2人の義父を殺害していることも大きな要因でしょう。

 

人中の呂布、馬中の赤兎

袁術に助けを求める呂布

 

正史で、長安を脱出した呂布は、荊州(けいしゅう)の袁術を頼るも断られ、冀州(きしゅう)の袁紹のもとに身を寄せます。そのころ袁紹は公孫瓚との戦いに勝利したものの、公孫瓚の同盟軍で、常山(じょうざん)を根城に大勢力を築いていた、黒山賊(こくざんぞく)に手を焼いていました。

 

張燕

 

張燕(ちょうえん)を頭とする黒山賊は100万にものぼり、精鋭の歩兵と騎馬兵をそれぞれ1万と数千そろえていたのです。武勇で名をとどろかす呂布が客将として自軍に加わったことを好機とした袁紹は、黒山賊の討伐を呂布に依頼します。

 

張燕をボコボコにする呂布

 

わずか数百騎の軍勢を率いた呂布は、数十倍の数の黒山賊を蹴散らし続け、あっという間に黒山賊を失墜させてしまいます。

 

呂布に敗れる張燕

 

縦横無尽に敵陣を駆け回る呂布と愛馬「赤兎馬(せきとば)」を、人々は「人中の呂布、馬中の赤兎」と言って称えたのでした。人ならば呂布、馬ならば赤兎馬に並ぶ者はいない!と。演技では呂布の死後、曹操が関羽に赤兎馬を与えていますが、正史ではこの戦いでしか登場しません。

 

曹操配下の名将6人と同時に戦う呂布

呂布

 

袁紹との関係が悪化した呂布は、兗州(えんしゅう)で思わぬチャンスに巡り合います。徐州の陶謙(とうけん)を攻撃していた曹操は、兗州を攻める他勢力はいないだろうと考え、ほとんど兵を残していなかったのです。

 

許チョ(許褚)

 

留守を狙った呂布はまんまと兗州を手に入れますが、その報告を聞いて慌てて徐州から戻ってきた曹操軍との攻防戦が始まります。演義ではこのとき、まずは曹操軍屈指の強者、許褚(きょちょ)と一騎打ちをします。

 

李典

 

許褚の分が悪いと見た曹操は、夏侯惇(かこうとん)夏侯淵(かこうえん)李典(りてん)(がくしん)進・典韋(てんい)を戦いに加わらせ、1対6の勝負となります。さすがに押された呂布は城に退きますが、曹操軍でもトップクラスの武将6人を相手に、怪我もせずに立ち去ってみせたのでした。

 

 

「軍門に戟を射る」

呂布を水攻めする曹操

 

その後、曹操に追われた呂布は徐州の太守となっていた劉備のもとに転がり込みます。しかも、劉備が袁術と戦いを始めると、その隙をついて本拠地の下邳(かひ)を攻撃し陥落させます。呂布から豫洲(よしゅう)を与えられる形で、劉備は従属勢力となります。

 

紀霊

 

そこへ袁術が3万の兵を紀霊(きれい)に与えて劉備の勢力に逆侵攻。劉備は自軍だけではどうしようもないので、呂布に救援を求めます。

 

紀霊

 

正史では、その要請に対して、呂布は紀霊を酒宴に招きます。そして、「自分は戦を好まない」などと前置きをしつつ(あなたがそれを言う?という感じですが)、150歩離れた場所に立てた(げき)を弓でいられたらおとなしく兵を引いてくれと紀霊に持ちかけます。

 

矢を当てる呂布 呂布、紀霊

 

酒が入った状態でまさか当たるまいと思った紀霊はその申し出を承諾します。しかし、呂布は見事に矢を命中させ、紀霊はやむなく兵を引き上げるしかなかったのでした。

 

 

三国志ライターたまっこの独り言

たまっこ f

 

裏切りというレッテルでは魏延も有名ですが、そのはるか上をいく呂布。

 

劉備 呂布 肉取り合い

 

確かに倫理的にはどうかと思われますが、間違いなく三国志の前半を彩る強い個性の人物です。個人的には、北方謙三の『三国志』で、年上の妻を馬鹿にされたと思い込んでから、董卓への不信感を強めたり、落城間近の下邳で怪我をした赤兎馬を敵軍に託す、男気あふれる呂布も好きです。

 

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呂布

 

 

 

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たまっこ

KOEIのゲームから歴史に興味を持ち始め、 吉川英治の「黒田如水」を読んで以来、歴史にどっぷり。 最近はローマ史がお気に入り。 外国からの観光客に日本の歴史を伝えるお仕事も そのうちできたらなぁ、と思ってます。 好きな歴史人物: ユリウス・カエサル、竹中半兵衛、葛飾北斎、エイブラハム・リンカーンなど 何か一言: 歴史には、 自分には到底できない生き方をした人がゴロゴロいて、 飽くことがありません。

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