そんな張遼の主君であった曹丕はどうしても戦下手な皇帝というイメージがあり、凡庸な皇帝を懸命に支えた張遼の忠義に対する評価も高いです。今回は、そんな「凡庸な皇帝」と言われがちな曹丕とそれを支えた張遼の実像に迫っていきたいと思います。
曹丕は凡庸な皇帝なのか?
英雄曹操の息子にして、魏の初代皇帝となった曹丕にはあまりいいイメージがありません。
特に、『三国志演義』での曹丕は蜀の諸葛亮孔明の北伐に対して苦戦しつづけ、呉に対する遠征でも大敗を喫し、これをきっかけに張遼を失っています。
しかし、『三国志演義』はあくまでも羅貫中の手による物語であり、史実をベースにしつつも多くの脚色が加えられています。では、正史における曹丕とは果たしてそのような凡庸な皇帝だったのでしょうか?
正史を見る限り、曹丕は偉大過ぎる父の曹操と比べれば確かに劣ってしまいますが、決して無能な人物ではありません。曹操は息子の曹昂が戦死した後、早い段階から曹丕を後継者として見なしていたようで、漢王朝の丞相を務める自身の代理、すなわち事実上の副丞相としてしばしば自身の留守を任せていたようです。
人材を見抜く才では右に出る者がいない曹操が後継者に指名するくらいなので、無能な人物であるはずがありませんね。
関連記事:羅貫中原作『三国志演義』における趙雲は、どんな活躍をしたのか?
曹丕は本当に戦下手だったのか?
では、演義にあるように曹丕は戦下手だったのでしょうか?
正史を見る限り、皇帝となる前の曹丕の戦歴はあまり記録されていません。おそらくは父の曹操に従って各地を転戦したと思われますが、赤壁の戦い以降は各地で戦う曹操の代わりに首都を守っていたようです。
そんな中、219年(建安24年)に危機が訪れます。曹操が漢中遠征で劉備に敗れた隙をつくように、鄴で魏諷・陳イらが反乱を企てます。
これに際し、曹丕は陳イの密告を受けるとあっという間に反乱勢力を一網打尽にしています。これを見る限り、曹丕は凡将というよりはむしろ、有能な将に見えるのではないでしょうか。
しかし、正史においても曹丕は皇帝即位直後に大きな軍事的失敗をしていることが記録されています。222年(黄初3年)に曹丕は、30万という大軍を興して夷陵の戦いで疲弊した呉を攻めます(いわゆる「三方作戦」)。
呉は窮地に立たされますが、濡須口の戦いで朱桓が曹仁を破るなど、魏は敗北を喫します。これによって、魏は呉を滅ぼす好機を失い、いわゆる「天下三分」の情勢が固まってしまいました。
このように、圧倒的に有利な情勢でありながら、呉に敗れてしまったことで、曹丕は魏による天下統一の望みを逸してしまったともいえます。「曹丕=戦下手」という悪いイメージはこの呉に対する敗戦のほか、漢王朝を倒して帝位を簒奪したという簒奪者としての悪名からきているのではないでしょうか。
関連記事:【第一次濡須口の戦い】赤壁より人数が多い三国志史上屈指の会戦
関連記事:【第二次濡須口の戦い】曹操軍オールスターが登場する大会戦
関連記事:【第三次濡須口の戦い】曹丕の火事場泥棒から起きた最期の激戦
張遼は曹丕のせいで命を落としたのか?
『三国志演義』では、名将・張遼が戦下手な皇帝・曹丕の失敗のツケを払わされたように見えます。つまり、曹丕が無理な呉攻めを敢行したものの失敗し、張遼は曹丕を逃がすために呉軍と必死に戦って負傷し、その傷がもとで死んだというものです。
しかし、これは明らかに創作です。張遼は確かに呉と長年戦い続けた将であり、222年に曹丕が起こした遠征にも参加しています。しかし、正史の記述を見る限り、張遼は遠征の前から病に倒れてしまっており、曹丕の「三方作戦」が本格的に発動する前に病死してしまいます。
ですので、曹丕を逃がすために戦い、その時の傷がもとで死んだというのは『三国志演義』の作り話なのです。『三国志演義』は蜀を善玉、魏を悪玉とする物語なので、魏の皇帝にして漢王朝を滅ぼした曹丕は当然、大悪人として描かれます。
だからこそ、『三国志演義』での曹丕はかなり貶められて書かれているのです。確かに、呉を攻めて返り討ちにあったのは史実ですが、『三国志演義』ではそれを拡大し、曹丕の無理な作戦のせいで名将・張遼が死んだとすることで、曹丕の凡庸さ・無能さをより際立たせようとしているのではないでしょうか。
関連記事:明かされた真実!曹丕・曹植の後継者争いは、曹操と曹丕が仕組んだ罠だった?
関連記事:曹丕の性格に問題大有り?陰険扱いされる曹丕をフォローしたい
三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。『三国志演義』は非常に人気がある作品であり、日本で流布している三国志関連の作品もこれに依拠しているものが多いです。
『三国志演義』では悪役とされる曹操や曹丕ですが、曹操はダークヒーロー的側面があって人気が高い一方、曹操ほどの強烈なキャラクターがない曹丕はどうしても評価が低くなってしまう傾向があります。
しかし、正史を見れば、曹丕もただ凡庸なだけの人物ではないことが分かります。『三国志演義』と正史では、同じ人物が全く違う側面をのぞかせる、この点も三国志のみりょくではないでしょうか。
関連記事:張遼の子孫たちはその後どうなった?正史と三国志演義で動向を追ってみた
関連記事:正史三国志の張遼はどんな生涯を送ったの?呂布に仕える前は何をしていた?