広告

姜維の北伐はシルクロード貿易の利益目的か?隴西地域に姜維が期待していた理由

2021年11月8日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

蔣琬(しょうえん)

 

諸葛亮(しょかつりょう)亡きあと、蔣琬(しょうえん)そして費禕(ひい)が蜀のかじ取りを任されます。彼らは大規模な北伐(魏との戦い)は行いませんでした。

 

費禕の没後、北伐の準備に取り掛かる姜維

 

しかし二人が亡くなり、姜維(きょうい)が軍事の実権を握ると、彼は連年のように北伐を敢行します。その北伐は思うように結果を残せず、結局は蜀を衰退させてしまいます。

 

姜維

 

ただ、この姜維の北伐、その攻め込んだ場所を見てみると魏打倒の他の目的があるかもしれません。ポイントは「シルクロード貿易」です。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



姜維の連年の北伐での重要地点は?

すぐに戦争したがる姜維

 

姜維は軍事権を握ると、連年の北伐を敢行しました。なんと253年から257年まで5年連続の出兵をし、その後も何度か兵を出しています。その北伐の内容を見てみると、魏と蜀は「隴西(ろうせい)」という地域で何度も争っていることがわかります。

 

羌族に援軍してもらうよう使者を出す姜維

 

姜維の北伐は主にこの地域を奪取しようとしていたと考えられます。この隴西という地域は現在の甘粛省(かんしゅくしょう)東南部にあたります。姜維自身も「自分は西方の風俗に詳しい。隴より西はなんとしても領有したい」と述べています。

 

関連記事:馬超が長生きしていたら歴史は変わった?北伐のifストーリーを考えてみた

関連記事:諸葛亮の狙いは涼州?北伐における戦略を予想してみた

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

古代中国の暮らし図鑑

 

 

隴西地域には何があるのか?

剣閣で守りを固める姜維

 

姜維はその地域を重要と考えていたようですが、どうしてでしょうか。実はこの地域、有名な「シルクロード」の中継地として重要な役割を持っていたのです。この地を抑えればシルクロード貿易の利益を得られる、と姜維が考えていても不思議ではありません。

 

関連記事:司馬懿は北伐キラー?蜀と呉の侵攻を食い止め続けた戦略を解説

関連記事:趙雲の最後の戦い!第1次北伐における箕谷の戦いに迫る

 

三国志とお金の話

 

 

シルクロードとは?

三国志 シルクロード

 

シルクロードとは長安(現在の西安)を出発し、敦煌を得てカシュガル(現在の新疆ウイグル自治区)へ至り更に地中海ローマまで達する貿易路のことを指します(ルートは諸説あり)。

 

汗血馬を渇望した前漢の第7代皇帝・武帝

 

シルクロードの始まりは正確にはわかりませんが、前漢の「武帝(ぶてい)」の時代に張騫(ちょうけん)の西域遠征が行われ、西方へのルートが開かれたと考えられます。西方には多くの独立国家がありましたが、武帝はそれらを勢力下におさめ、貿易の利益を享受していきます。

 

蜀の姜維

 

姜維は西方の異民族にも詳しかったそうなので、前漢の武帝を習い、シルクロードを奪取することによって利益を得ようとしたのかもしれません。

 

関連記事:武帝とはどんな人?漢王朝の絶頂期を築いた皇帝はバイオレンスだった?

関連記事:【武帝の欲望】あの馬が欲しい!汗血馬を手に入れる為に・・・・

 

はじめての漢王朝

 

 

「三国志」の時代のシルクロード

正史三国志_書類

 

三国志の時代のシルクロードについてほとんど資料は残っていません。正史「三国志」においてシルクロードについての言及は殆どありません。しかし、西域の国々についてわずかに記述があり、シルクロードの拠点として有名な都市「楼蘭(ろうらん)」(鄯善国、漢の支配下で名を楼蘭から変えた)について少し触れられています。

 

魏志(魏書)_書類

 

「魏書、文帝紀(ぶんていき)」によると、「222年、鄯善国らの使者が訪れ、贈り物を献上した。その後西域が解放され役所が設置された」とあります。

 

皇帝に就任した曹丕

 

その記述から推測すると文帝(曹丕(そうひ))のころには魏がシルクロードの権利を握っていたと考えられます。

 

関連記事:明かされた真実!曹丕・曹植の後継者争いは、曹操と曹丕が仕組んだ罠だった?

関連記事:曹操の跡継ぎ争い本命はこっちの三名だった!曹丕の真のライバル曹昂と曹沖の実力はどれほど?

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

戦乱の中でも貿易を行う商人たち、そして姜維との関係

三国志のモブ 反乱

 

姜維の時代になると戦乱は激しくなり、貿易も滞ったに違いありません。しかし、シルクロードの拠点「楼蘭(鄯善国)」ではのちに古文書が多数発見され、その中には三国志の時代に書かれたと思われる漢文の文書も残っていました。

 

商人

 

それらは取引記録などの商業文書、徴税記録などで、この時代にも中国から貿易に訪れていた商人がいたことがわかります。

 

商人で成功する糜竺(びじく)

 

また楼蘭は記録によると「羌族」の侵入に悩まされていたそうです。この羌族は姜維が討伐に従事したり、関係を持った異民族であり、そこから姜維はなんらかの貿易に関係する情報、または協力を得ていたのかもしれません。

 

関連記事:人の見栄がビジネスチャンス!後漢で繁盛した秘商売とは?

関連記事:商売の神様・関羽のご利益って何?関帝廟はどんな人が参拝すべき?

 

三国志と異民族

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

-姜維
-, , ,