北方謙三先生の『三国志』シリーズ(以下、「北方三国志」とします。)には、多彩な登場人物が登場します。
今回は、そんな「北方三国志」の登場人物の中で、終盤における唯一の主人公ともいえる孔明こと諸葛亮について、その人物像を掘り下げてみたいと思います。
若き日の孔明
「北方三国志」の諸葛亮は、荊州の片田舎である隆中で生まれ育ちます。諸葛亮の兄・諸葛瑾は孫権に仕えて将軍として出世するなど、諸葛亮の一族は名士でした。しかし、諸葛亮はどこにも仕官することなく、田舎で晴耕雨読の生活を続けていました。
これだけ見れば優雅な生活にも見えますが、実際には諸葛亮の心中には満たされない思いが渦巻いていました。「北方三国志」において、若き日の諸葛亮は自らの才能に限りない自信を持っており、自らの才能を天下に示せるような機会をひたすらうかがう人物として描かれています。
このような名誉欲を秘めた諸葛亮の姿は、優雅な世捨て人のような描かれ方をされている「三国志演義」とは全く異なるものであり、「北方三国志」では極めて人間臭い諸葛亮の描き方がなされています。
しかし、諸葛亮の野望もむなしく、仕官の機会に恵まれないまま、世間では袁紹を倒した曹操が天下の大半を手中にし、乱世を終わらせようとしていました。
これを知った諸葛亮は、自らが世に出る機会を失うかもしれないという事実に焦燥を覚えるとともに、師匠の司馬徽のように俗世への欲望を捨て去り、世捨て人となることもできない自分自身に苦悩します。
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劉備との出会い
苦悩していた諸葛亮の前に現れたのは劉備でした。曹操に敗れ、劉表のもとに身を寄せていた劉備は諸葛亮に対し、漢王朝の復興という己の志を説き、天下万民のために共に戦おうと説きます。諸葛亮はそんな劉備の志を実現不可能な「青臭い理想」と切り捨て、劉備のもとに仕官しようとはしませんでした。
しかし、劉備が訪れた日から諸葛亮の心の中には劉備への興味が湧きだします。劉備の志は素晴らしい理想である。しかし人の愚かさ故にその理想が実現することは決してない。それなのになぜ、劉備はあれほど愚直に己の理想を信じることができるのか?
いつしか、諸葛亮はすっかり劉備という人物の虜となっていたのです。そして、欲にまみれた存在である自分と違い、損得勘定抜きで己の理想を追求する劉備という人物に諸葛亮はひかれていきます。そんな中、劉備が再び訪ねてきますが、諸葛亮は劉備のもとで戦うことの覚悟ができず、劉備の誘いを再び断ってしまいます。
しかし、諦めることなく三度諸葛亮を訪ね、両手をついて仕官を懇願する劉備の姿に心動かされ、ついに諸葛亮は劉備の軍師となるのです。
これが「北方三国志」の「三顧の礼」の場面ですが、「三国志演義」などと決定的に異なり、「三顧の礼」を尽くされる諸葛亮の側の葛藤と心の動きが事細かに描写されています。こうした点は他の作品に類を見ない点であり、「北方三国志」独自の諸葛亮像が描き出されているのです。
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未熟さを抱えながらも成長する軍師・諸葛亮
劉備の理想に心ひかれ、劉備と共に漢王朝復興のために立ち上がった諸葛亮はその圧倒的な才能をいかんなく発揮し、赤壁の戦いでは周瑜と協力して曹操の天下統一を阻む大勝利を挙げます。
しかし、「北方三国志」の諸葛亮は、「三国志演義」などで描かれる完全無欠の最強軍師として描かれることはなく、むしろ時にはその未熟さをさらけ出すこともあります。
例えば、曹操と劉備の漢中争奪戦に際しては、40万という圧倒的な曹操の大軍を前に諸葛亮は恐れをなして狼狽する場面が登場します。しかし、この時は曹操との数多くの戦いを潜り抜けた百戦錬磨の劉備にたしなめられ、諸葛亮は自分を取り戻し、その神算鬼謀で曹操の大軍を退けます。
このように、「北方三国志」の諸葛亮は卓越した才能を持ちながら、どこか世間知らずな未熟さを併せ持った人物として描かれ、そんな諸葛亮は劉備や関羽・張飛・趙雲・馬超といった百戦錬磨の英雄たちとともに、曹操という強敵と渡り合う中で成長を遂げていくのです。
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劉備亡きあとの蜀漢を支える孤独な軍師・諸葛亮
諸葛亮は主の劉備とともに、劉備の夢である漢王朝の復興を目指すのですが、その夢が果たされることはありませんでした。
孫権の裏切りに遭って荊州を守っていた関羽が戦死すると、激怒した劉備は張飛や諸葛亮の説得を振り切って孫権と戦おうとします。張飛は孫権の差し向けた刺客によって死に、劉備も孫権に大敗し、その心労がたたって病没してしまいます。
主と戦友たちを一挙に失った諸葛亮は、劉備の夢を受け継ぎ、蜀漢の丞相として漢王朝の復興という理想を追い続けます。しかし、時の流れは残酷であり、劉備のもとで諸葛亮とともに戦った者たちは次々と世を去っていきます。
劉備亡きあと、諸葛亮にとって唯一の盟友ともいえる趙雲が寄る年波には勝てずに病没し、自分の後継者と目した馬謖が決定的な失策を理由に処刑されるという悲劇を経験しながらも、諸葛亮はただ一人孤独に蜀漢を支え、漢王朝復興の夢を追いかけて魏との戦いに乗り出します。
しかし、最後まで漢王朝復興の夢を果たすことができず、諸葛亮は五丈原の地に力尽きることとなります。こうして、「北方三国志」の物語は幕を閉じることになるのです。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。「北方三国志」の諸葛亮は、完全無欠な聖人君子である「三国志演義」の諸葛亮とは異なり、才能を誇り、名誉欲に満ち溢れたある意味では人間らしい人物として描かれているのが特徴的ですね
さらに言えば、諸葛亮というキャラクターに注目するならば「北方三国志」は、自分の理想や名誉欲と現実のはざまでもがいていた諸葛亮が、劉備たちと出会い、劉備たちと同じ夢を追いかけていく中で、名誉欲ではなく「漢王朝の復興」という理想のために生涯をかけるに至るという、諸葛亮の成長の物語と見ることもできるのではないでしょうか。
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