劉備軍乾坤一擲の漢中奪取!もし曹操が漢中を失っていなかったらその後の三国志はどうなった?

2022年6月2日


 

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弓の名人・黄忠

 

今回は、漢中(かんちゅう)を巡る攻防戦のことを考えてみましょう。漢中を巡る攻防戦といってもピンと来ない方も多いかもしれません。ただし、黄忠(こうちゅう)夏侯淵(かこうえん)を討ち取った「定軍山(ていぐんざん)の戦い」前後の話というと、思い出してくれる方も多いのではないでしょうか。

 

陸遜の火計に嵌ってしまい戦死する馮習

 

どうにも、赤壁(せきへき)の戦いや夷陵(いりょう)の戦い、五丈原(ごじょうげん)の戦いと比較すると、いまいち印象の薄いこの戦い。その印象の薄さを、今日はできるだけひっくり返しにかかりたいと思います。

 

劉備と曹操

 

まさに漢中の戦いこそ、曹操(そうそう)の天下統一を阻み、かつ三国鼎立時代の幕開けとなる、超重要な合戦なのです。天下統一を目指していた曹操にとっては、赤壁の戦いに匹敵するほどの「痛恨の敗戦」が、この一戦だったのではないでしょうか。

 

魏曹操と魏軍と呉軍

 

それも赤壁の戦いが、孫権(そんけん)劉備(りゅうび)の同盟軍に敗れたのに比較して、この漢中攻防戦は劉備軍単独に曹操軍が完敗したという、なおさら曹操の経歴にとっては決定的なインパクトをもったものなのでした。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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どうして漢中がそんなに重要だったのか?

祁山、街亭

 

まずは、戦場となった漢中のことから。これは巴蜀(はしょく)の北であり、曹操の重要拠点である長安につながる交通の要衝でした。のみならず、ここは狭路が入り組む、複雑な地形。占領したほうが砦や関門を構築すれば、相手の交通を阻害し、それでいて自分たちは敵の領地に攻め込める、戦略的にきわめて重要なポイントでした。

 

曹操から逃げ続ける劉備

 

もっとシンプルに言うと、曹操が漢中を取っていれば、(しょく)に攻め込む作戦が取れるようになり、劉備が漢中を取っていれば、長安(ちょうあん)に攻め込む作戦が取れるようになる(つまり後の諸葛亮(しょかつりょう)の北伐です)。国力も軍事力も上の曹操がここを先に占領していたわけですから、普通に考えれば、この土地の奪還は、国力や軍事力に劣る劉備の側にはかなり困難だった筈でした。

 

男気溢れる趙雲

 

ところが、諸葛亮の巧みな戦術と、張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)馬超(ばちょう)、黄忠らの猛戦により、劉備軍は漢中から曹操軍を追い出し、ここを自らの領土に組み込むことに成功してしまったのです。

 

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曹操孟徳

 

 

 

劉備にとってはただの戦略拠点というだけではなかった?「漢中王」を名乗ることの政治的意

漢中王になる劉備

 

蜀が漢中の奪還に成功したというだけでも、三国時代のパワーバランスに大きなインパクトをもたらす大事件ですが、劉備個人の経歴にとっては、このことはもうひとつ、重要な意味合いを持っていました。

 

左遷される劉邦

 

劉備の目的は、漢王朝の復興。その漢王朝を開いた劉邦(りゅうほう)は、まさに漢中を拠点とし、「漢中」を名乗り、そこから項羽(こうう)に対する執念深い反撃を繰り返して、天下取りに成功したのです。

 

劉邦はヤンキー

 

漢王朝の始祖である劉邦が拠点としていた土地を手にし、その事実を背景に「漢中王」を名乗る。これは漢王朝復興を大義名分としている劉備にとって決定的に重要なパフォーマンスであり、漢中をとったことが、ゆくゆくは、蜀の「皇帝」を名乗ることにつながっていったと言えます。

 

漢中を取ったことで、劉備は晴れて「かつての劉邦の後継たりうる」と天下に広めることができ、ひいてはこのことが、魏呉蜀(ぎごしょく)の三国鼎立が完成するきっかけともなったのでした。

 

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はじめての漢王朝

 

 

もし曹操が漢中を奪われていなかったら、三国志はどのようになっていたか?

北方謙三 ハードボイルドな曹操

 

それにしても、ここでもし、曹操が漢中を奪われていなかったら、歴史はどうなっていたのでしょうか?

 

その後の三国志(さんごくし)の展開に、以下のような違いが出たはずです。

 

・劉備も孔明(こうめい)も蜀を守るので精一杯、北上ができない(つまり北伐もない)

・劉備が漢中王を名乗っていない(蜀帝としての名乗りもあげられないかもしれない)

・魏呉蜀のパワーバランスは、魏が圧倒的有利なままこれだけパキッと曹操有利なら、このまま曹操が、曹丕(そうひ)の時代を待たずに帝位を得ていた可能性すらあります。

 

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はじめての諸子百家

 

 

まとめ:しかしこのシナリオにもステキなメリットが!関羽が死なない!

北方謙三 ハードボイルドな劉備

 

こうしてみると、劉備軍が曹操軍から漢中を奪ったことは、劉備軍の乾坤一擲(けんこんいってき)の快挙であり、赤壁の戦いに匹敵するインパクトの大事件であったことがわかります。さらに言えば、これを成し遂げた時の劉備軍こそ、いちばんノリにノッているとき、組織としても、個々の武将たちの能力も充実していた全盛期だったのでしょう。

 

 

むしろ「ここで漢中を取れなければ、天下三分の計も成立せず、すべて終わり」というくらいに、劉備軍としては決死の作戦だったものと思われます。ですが、ここでもう少し、深読みをすることも可能です。もし、ここで曹操が漢中を奪われていなかったら、本当にそれで、劉備は「詰み」だったのか?

 

意外とそうでもないかもしれない、と思えるポイントがあります。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

史実においては、劉備が漢中を奪ったことにより、孫権が劉備の勢力が巨大化したことを脅威に感じて、荊州(けいしゅう)攻略を開始します。この戦いで、劉備軍は荊州を失った上に、関羽(かんう)という超重要人材を失うことになるわけです。

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

もし、劉備が漢中奪取に失敗していたら?

劉備はもはや詰み?

 

劉備と同盟を組む孫権

 

と思いきや、孫権軍と劉備軍の結束が崩れることなく、関羽を失うこともなく、劉備と孫権が固い同盟で再度、手を組み、赤壁の戦い第二ラウンドのような、曹操 対 劉備・孫権同盟軍の明確な対決が見られたかもしれません。

 

それはそれで、歴史の展開がどうなっていたかはわからず。このパターンでのイフ展開シナリオも、掘り下げていくとかなり面白い展開が描けるのではないか、と思ったのですが、いかがでしょうか?

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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