劉備が放浪の果てに蜀の地にたどり着き、そこで漢中王を名乗ったのは皆さん記憶に新しいことでしょう。しかし劉備が何の苦労もなく蜀を手に入れた訳ではないように、嘗てはそこを治めていた人物たちだっていたのです。
そう、群雄割拠の時代、蜀の地に夢を見た人物がいました。
今回は益州にて群雄割拠の時代を生き、そして野心を持ち、そしてその野心半ばでこの世を去った人物。今回は劉焉についてのお話を致しましょう。
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劉備よりもプリンスな劉焉
劉焉は江夏郡の出身ですが、その名前から察することができるように劉氏の一人、前漢の皇族、魯恭王劉余の末裔なのです。つまり漢王朝の(かなり遠い)血縁者の一人で、この時代では後の劉備を見れば分かるように漢王室の関係者ということで、若くして出世して……行く途中でとんでもない事件が起こりました。
なんと劉焉のお師匠様が暗殺されたのです。恩師が亡くなった劉焉はこれを理由に職を辞して、喪に服していました。そしてその後、学問に打ち込んだことで有名になり、再び出世街道をランニングしていくことになります。
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皇帝が誕生するという不思議な予言を聞き益州へ
そんなこんなで中央政権に関わるようになっていく劉焉でしたが、本人は中央にいるのが嫌でした。折しも後漢末期、中央政権に関わっているとこの先ろくなことにならないのは目に見えていたのでしょう。
そこで地方の反乱を防ぐ、という名目で地方に行こうと画策します。ここである人物が劉焉に接近し、凄いことを言います。
「劉焉様、益州はどうですか?あそこには天子の気があります!」
この予言が影響したのかは分かりませんが、劉焉は益州に行くことを決意したのでした。
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激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志』
劉焉が益州牧になり次々と誕生する群雄
実際にこの頃は地方は荒れ果て、暗殺が日常茶飯事と化していました。という訳で信頼できて有能な人物を派遣するというのは国として間違ってはいなかったのです。
そして目論み通り劉焉は益州に、ついでに劉虞が幽州牧に、劉表が荊州牧に……と群雄割拠の時代の前日譚みたいな状態が生まれたのです。
運の良いことに荒れ果てた益州では益州従事の賈龍が賊軍を打ち破った直後であり、彼に迎え入れられたことで劉焉は益州の立て直しにすぐ取り掛かりました。
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五斗米道を取り込み中央と益州のパイプを遮断
劉焉は善政を行う一方で、現地で人気のあった宗教、五斗米道の一派を取り込もうとしました。ここで五斗米道のトップ張魯の母親が何度も劉焉の元に訪れたことで劉焉は張魯を重用することになったと言いますが……まあ深くは追求しないことにしましょ。
とりあえず裏で五斗米道の取り込みに成功した劉焉。彼は漢中に張魯を送り、かの地を治めさせて、そこから朝廷の使者がやってこれないようにします。その一方で朝廷には「漢中の張魯が好き勝手しちゃって連絡がとれないんですぅ」と言っていたのですからこれは確信犯!
当時は朝廷方面も董卓が好き放題やっていた頃、劉焉は益州で権力を確固たるものとし、自らに逆らおうとする勢力は綺麗に始末。やりたい放題の劉焉を劉表が「あいつ車をめっちゃ作ってる!」と上奏したりしていますが、劉表も劉表で好き勝手をしてるから正に世は群雄割拠の時代だったのですね。
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長安を奪おうとして息子2人を失い意気消沈して死去
劉焉は中央政権から逃げるように益州にやってきましたが、実はその一方で息子たちを中央に残してきていました。後にその一人である劉璋が使者として訪れた際には益州に留めましたが、残る二人は中央に置いたままでした。
そして董卓が暗殺され、馬騰が長安攻めを計画、劉焉はこれに乗っかります。これが失策でした。
計画は露呈、二人の息子は処刑されます。中央のごたごたに巻き込まれないように中央から離れたはずだったのに、よりによって中央に欲を出して計画に乗っかって二人の息子を失った劉焉は哀しみにくれました。
更に天からの怒りの如く落ちた雷が居城を焼き、大火災となって豪華な車たちは全焼。これが気への止めとなったのか、背中に腫瘍ができたことで亡くなったと言います。
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