曹操の妻の一人、卞夫人。正しく呼ぶならば武宣卞皇后と呼ばなければならないかもしれませんが、ここではまあ卞夫人と呼ばせて頂きます。
乱世の奸雄、治世の能臣を支え続け、曹丕・曹彰・曹植・曹熊という曹操足る……じゃない、そうそうたる面子を産み育てた女性である彼女は、賢妻としても有名ですね。そんな彼女、実はちょいと不思議な交友関係を持っていたことはご存知でしょうか?
今回はそんな卞夫人の交友関係をご紹介しましょう。
この記事の目次
元々は歌妓
卞夫人は元々歌妓をしており、曹操に見初められて妻に迎え入れられました。後の皇帝となる曹丕だけでなく、その弟である曹彰、曹植、曹熊らを産み育てた女性でもあります。
因みに皆さんご存知、魏の大将軍、その身体の大きさは偉大さと懐の広さであることは常識、曹真大将軍は幼少期に父を失い、それを憐れんだ曹操が曹丕と起居を共にして育てたとあるので、もしかしたら曹真を育てたのも卞夫人だったかもしれませんね!
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前妻(丁夫人)とも仲良く
その卞夫人が妻に迎え入れられた時、曹操の正室にいたのが丁夫人です。丁夫人は元々身分が低かった卞夫人を嫌い、辛く当たっていました。しかし卞夫人は常に礼儀を持って丁夫人に接し、丁夫人が曹操と離縁した後も配慮をしていたので、後に丁夫人も卞夫人に感謝していたと言います。
数多く妻を持つと女の争いも熾烈化する印象がありますが、卞夫人はそんな争いをするタイプの女性ではなかったのです。
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曹操脱出(なお家族)
さて時代は董卓の絶頂期。董卓は曹操を仲間に引き入れようとしますが、曹操はそれを良しとせず。争いに巻き込まれない内に曹操は都を出奔!
しかし大慌てで逃げてしまったため、家族は置き去りにされてしまいました。曹操の生死も分からぬまま、卞夫人らは取り残されてしまったのです。そんな卞夫人のとこにある人物が訪れます。
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袁術:「はちみつちょうだい(※言ってない)」
「なんか曹操死んじゃったらしいよ!ここもヤバいよ!(意訳)」
そんな曹操の訃報を届けてきたのは後に皇帝として覇権を握る……握る?袁術!
曹操のとんでもない話を聞いた従者たちは大慌て。しかしそれを宥めたのは卞夫人でした。「夫がまだどうなっているかは分かりません。それなのに慌てていては、生きて戻ってきた時に合わせる顔がないでしょう。もしも亡くなっていたとすれば一緒に死ねば良いこと。慌てることなど何もありませんよ」
この冷静さが、彼女を後に皇帝の母にまでしたのではないでしょうか。曹操は無事で、家族は再び再会できたのでした。
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