「哀哉奉孝、痛哉奉孝、惜哉奉孝」
哀しい、痛ましい、そして最後に惜しい。曹操が郭嘉をどう思っていたか、その死の際に言ったこの言葉で分かるのではないでしょうか。そんな郭嘉は病気で亡くなった、とされていますが、例にもれずこの病気も何のことやら詳しくは分かりません。
そこで今回は郭嘉の死因に付いて筆者の考察……は置いといて、色んな方向から考えてみたいと思います。郭嘉の死因考察、色んな人が色んな考えを出していて面白いんですよ!
この記事の目次
郭嘉という武将の曹操評価
さて郭嘉ですが、最初は袁紹の所に行くも「これは将来なんか重要な所でやらかすな」と判断して(※筆者の妄想です)、士官はすることなく立ち去りました。その後、曹操の策謀の相談役として荀彧に抜擢され、曹操に召し出されました。
郭嘉と語りあった曹操は自分の大業を成就させてくれるのは郭嘉だ!と大喜びしたと言います。郭嘉も郭嘉で、曹操こそ我が主君と出会えたことを喜んだと言います……郭嘉とか徐晃とか、曹操と部下がお互いを褒め合っているのほっこりしますね。
とにかく何でも漢でも(誤字)見通してしまう郭嘉さん?
そんな郭嘉ですが、才気煥発……と言うか何と言うか、とにかく未来予知でもしているんじゃないかと言うくらいに先を見通してしまいます。
袁家の滅亡、孫策の暗殺、また「傅子」の方では劉備がいずれ曹操に敵対する危険人物であるということも見抜いたのですが(でもこれは呂布も言ってた)、曹操はこれに取り合わず、後に後悔したとか。そんな郭嘉も38歳で柳城から帰還の際に、病を経て亡くなりました。この病とは何か?色々と考えられる病気を見ていきましょうか。
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郭嘉の死因は過労死
まず考えられる死因、過労死!曹操に仕えた郭嘉ですが、そもそもこの頃の曹操は周囲が敵だらけ。呂布や袁紹は言うに及ばず、しかもどれもこれも負けることは即ち滅びを意味するほどの強敵。
この綱渡り状態を何とか乗り越えて、郭嘉が向かったのは烏桓征伐。この連戦に次ぐ連戦、普通の人なら既に倒れていた!?という訳で過労死……天才も自分の限界は見抜けなかった説、有り得るか?
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郭嘉の死因:様々な要因が積み重なって……?
さて次なる死因は……病気の中でも、厄介な病気の一つ。それは結核。この郭嘉結核説に関してはkawauso編集長が濃密な考察をされていますのでそちらもどうぞ!結核でそもそも体が弱かった所に無理を重ね、寿命を縮め……そしてその結核の病魔は実は曹操にも感染していた説!こちらは結核という病気は分からずとも、既に自分の天命すら読んでいた郭嘉。結核だから亡くなったのではなく、結核だったからこそ無理をした。それもまた浪漫ですね。
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郭嘉の死因:ちょいと不名誉じゃありません?
次にはもう一つ、何か郭嘉の死因の病気と言われちゃうことがあるのが……性病。うーんちょっとこれは不名誉に聞こえるかもしれませんが、三国志の時代にセーフティセックスとかあまり重視されていそうにないですし、全くの無関係とも言えません。
郭嘉は素行に問題があったことで陳羣からも良く非難されていたとも言われますし、そこから考えを発展させてみると、もしかしたら若かったからこそ?
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郭嘉の死因:これは有り得ちゃうんじゃないか!?
最後に挙げたいのが……実は郭嘉は呪殺だったー!!!!ナンダッテ!?こちたもはじ三サイト、三国志ライター YASHIRO氏の記事で読めますが……有り得ない、と思いつつも何だかんだ考えられてしまうのが面白い所!果たして郭嘉を呪ったのは……それは記事内でお楽しみを!
因みに筆者は郭嘉は赤壁の戦いで「もし生きていたらいたら負けなかった」と曹操が言っていたことから「こいつがいたら将来的に教え子が二次作品で活躍しにくい気がする!」と判断した水鏡先生による呪殺説を考えてみましたが、いかがでしょうか?
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議論の余地はまだまだ見える、郭嘉の病気
さて、色々な郭嘉の病気、死因を挙げてみました。ここで挙げたのはほんの一例、郭嘉の病気の原因特定は現代では難しいことです。しかしそれでも考えてみる、探ってみる、それは三国志ファンの病気の一つかもしれませんね。
これは華陀先生でも治せない、面白楽しく困ってしまう不治の病と言えるでしょう。皆さんはどんなお考えですか?よろしければ郭嘉考察の一ネタとして下さいね。
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三国志ライター センのひとりごと
余談ですが、曹操の手紙で「(郭嘉は)南方に流行病があることから、 自分が南方に行けば生きて帰れないだろうと常に言っていた」とされるように、自分の病気を知っていたのでは?とも思うのですが。しかし実際に郭嘉が言ったのは「北方の異民族討伐(烏丸)」の方で、南方とは一体?と不思議な矛盾が出てきます。
この言葉にはどんな意味が有るのか?裏はどこ?いやもしかして曹操の記憶違い?頭痛大丈夫?まだまだ三国志の不思議、尽きませんね!どぼーん!
参考:魏書郭嘉伝 傅子
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