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これだけ読めば丸わかり!孔明が身に着けている羽毛扇などのトレードマークの理由!

2015年12月2日


 

孔明 出師

 

三国志きっての人気キャラクターでファンが多い諸葛亮孔明。孔明は実在した人物で、本家中国でも『天下の偉人、孔子の後は孔明のみ』とまでうたわれた鬼才でもあります。そんな孔明ですが、数多の三国志ドラマや映画、漫画や小説の挿絵など…必ずと言っていいほどに描かれる孔明の姿は共通していますよね?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明と言えば…の基本の3点セット

諸葛孔明

 

そうです!あのコロンと丸い独特な山なりの帽子に、ゆったりとした着物、そしてトレードマークとも言える羽毛扇!やはりこれは、日本において数々の三国志作品に影響を与えている横山光輝先生の三国志マンガの影響なのでしょうか?

 

と、思いきや。中国に古くから残されている孔明の人物画や、五丈原や白帝城など各地に見られる孔明の像でも、孔明は基本の3点セットを身につけたお馴染みの姿です。

 

三国志演義でも確かにその姿は『身の丈八尺、面は冠玉のごとく。頭に綸巾(かんきん 頭巾)をいただき、身に鶴氅(かくしょう 道士の着物)をまとい…』(身長約185cm、顔は白玉のように白い。頭には綸巾を被り鶴氅を身に纏っている)

 

と、しっかり基本の3点セットの孔明スタイルで描かれていますね。

 

もちろん、三国志演義は後世に作られたフィクションなので、それぞれが愛用している武器や伝説などは史実とは異なり、後付けされたものも数多くあります。孔明のトレードマークマークともいえるこの基本スタイルやアイテムにはどんな意味があるのでしょうか?また、実在の孔明もこのようなスタイルだったのでしょうか!?

 

 

丸い独特な帽子は『綸巾』(かんきん)

空城も計 孔明

 

他の登場人物とは違った、独特な帽子は綸巾(かんきん)と呼ばれます。様々な孔明像で描かれる独特の形から、『諸葛巾』と呼ばれる事も。この綸巾自体は、『青い紐などを組み合わせて作った頭巾。普段着用のもの。』という概念だそうです。

 

え?頭巾!?…と、思いますよね。私達が多く知っている孔明の頭にあるものは、もっとポコっと山なりで食パンみたいで、素材も固そうです。が、古い時代の孔明の人物画などでは孔明の帽子は頭巾らしくフニャフニャとした形に描かれているのです!んん〜!?これどこかで似たような物…

 

そうだ!大黒頭巾!!

 

 

我らが(?)日本の七福神の一人、大黒様が被ってる大黒頭巾を見てみると…頭先ほどまでの違和感がすーっとどこかへ消えていきます。
還暦のおじいちゃんのアレです。

 

頭巾と言われると、どうしても時代劇に登場する、目元しか出していないほっかむりスタイルがお馴染みな為、あの山なり帽子とどうも一致しなかったのですが…大黒頭巾を見ると納得。当時で言う頭巾とは広い意味合いがあり、様々なタイプがあったのです。確かに見方によっては孔明の山なりの帽子に見えますね。

 

後世で孔明の像を作る上で、大黒頭巾に似た孔明の綸巾を再現していくうちに、縦長の山なりな形になり、いつしか帽子のようになってしまったと考えられます。絵と違って像だと頭巾は表現し難いし…この当たりは詳しい資料や歴史書が殆ど無いので謎が多いのが現状のようです。

 

 

孔明の帽子を象ったと言い伝えられる寺院の屋根

孔明 軍師

 

実在の孔明像を探る上で非常に興味深い事実が存在しますよ。

 

後年、孔明は南征を行いました。当時は未開の地でもあった南方の平定でしたが、孔明はその地に住む多くの民の生活の向上にも心を砕いたとされています。その為、孔明から受けた恩恵を後世に伝える為に、多くの場所に諸葛亮孔明の名前をつけられた遺跡や伝説が残されているそうです。ある部族の村にある寺院の屋根は、孔明の帽子の形をかたどったと言い伝えられてるそうです。孔明の帽子がちょっと個性的な形だったのは間違い無いようですね。

 

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実際の孔明の帽子は紺色だったと推測


蛇足ですが、綸巾は青い紐を組み合わせて作られ…という記述から、実際の孔明の帽子は紺色だったと推測されます。ドラマや映画では黒も多いですね!横山三輝先生の孔明は金色です。

 

 

ゆる系の『鶴氅』と『八卦衣』

 

孔明の衣服といえば、『鶴氅』(かくしょう)と『八卦衣』と(はっけい・はっかい)が挙げられます。

どちらも道士が身に纏っていた着物です。

 

『鶴氅』自体は 鶴の羽毛で作った衣。つるのけごろも。また、雪の降りかかった衣。

などを表していますが

鶴氅衣というと着物の上に着る被布(ひふ)のような仕立てで、白地に黒く縁を取った服。昔は隠者などが着た とされています。

日本では江戸時代に茶人などが好んだスタイルですね。

孔明は普通の着物に羽織る形でこれを着ていたようです。

 

『八卦衣』は京劇において老子や孔明が身に纏う独特な衣装で、道術や智謀を駆使する天文地理を極めた知恵の象徴とされています。

キョンシー退治の道士の服がコレ!これこそ京劇から生まれた後付け設定!

孔明をより神格化させた服装です。

 

様々な文献からも 道士が着ているような服を着て、と記述されるように孔明の服装は当時の三国志世界において、他の文官や武将とは明らかに異なっていたようです。

もっとも、孔明が毎日毎日道士の服装をしていたかと言えば疑問ですが、敢えて戦場に道士のいでたちで現れることによって

まさか奇術を使うのでは!?孔明の罠だ!

 

と、アタフタさせる心理的作戦の意味合いはあったと思われます。

 

 

これが無くては語れない『羽毛扇』

どんな三国志作品でも、孔明が必ず手にしているトレードマークの『羽毛扇』(うもうせん)

もちろん武器ではないので、扇をフリスビーのように投げ飛ばしたりビームを出す事はできません!

 

この羽毛扇は相撲の行司や武田信玄などが用いた軍配の原型という説があります。

軍配は正しくは軍配団扇(ぐんぱいうちわ)といって、軍勢を配置し指揮するという意味がありました。

 

元となった孔明の時代の羽毛扇は、羽や木で作られとても大きく、あおいで涼を求める目的はありませんでした。

しかも軍配とは違い、はらったり、かざしたり…儀式や祈祷などに用いられるスピリチュアル的なアイテムだったようです。

こういった役割から、この羽毛扇自体も孔明の神格化したイメージ付けの為の後付けではないかという説もあります。

 

 

数々の歴史書に残る羽毛扇

孔明

 

ところが、この孔明が羽毛扇を実際に愛用していたと裏付けるような歴史書が存在しているのです。

まずは西晋の崔豹による『古今注』から。

羽毛扇は古くは殷の時代から登場し、漢の時代にも豪族を中心に流行した という記述があります。

 

確かに羽毛扇はスピリチュアルアイテムではあったのですが、決して儀式や祈祷をする人だけが持ち歩いていた訳では無かったようですね。

 

さらには東晋の裴啓が記した『裴子語林』には

 

諸葛亮(武侯)と司馬懿(宣)が五丈原の渭濱にて対峙した際、司馬懿は軍服を着ていたが、

諸葛亮が輿に乗り葛巾を被り白羽扇を持って軍を指揮し、軍はその指揮によく従っていた

 

という記述があります。

晋といったら三国時代のすぐ後の時代。

既にこの六朝時代頃には孔明の基本スタイルについて良く知られていたのですね!

後の羅貫中による『三国志演義』などの孔明像の原型ともいえます。

 

孔明の独特なスタイルは物語のキャラ設定の為の後付けというよりは、昔から語られていた孔明の姿が元になっていると考えるのが自然です。

 

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三国志ライターAkiのひとり言

Aki

 

孔明の綸巾・羽毛扇・道士の服 という独特な孔明スタイルは、ほぼ史実でも変わらなかったようですね。

ちなみに映画レッドクリフの金城武さんの孔明は、常に羽毛扇は持ち歩いていましたが場面によっては綸巾を被ってなかったり、普通の着物のみの場面もあります。

戦など、ここぞの場面では3点セットの孔明スタイルで登場していました。

実際の孔明もそのように多少の使い分けはしていたのかなー?と思います。

 

余談ですが、個人的に『人形劇三国志』の川本喜八郎先生の孔明スタイルが一番好きです。

 

ゆる系衣装ながらも品格があってとても素敵ですね!

 

昔の資料や中国の文化を踏まえながら、他の登場人物達より目立つように計算されたデザインだそうです。昔から作られてきた幾多の孔明像も、同じように史実を交えながら作者それぞれのリスペクトを加え、作り上げられてきた姿なのだと感じます。もしかしたらこれから先も、新しい孔明スタイルが生まれるかもしれませんね。

 

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