徐晃と言えば曹操がめっちゃ褒める魏の武将であり、徐晃もそれに劣らず曹操をめっちゃ褒めるという上司と理想の信頼関係を築いているという巷で(たぶん)有名な武将ですね。
本人も武勇だけに留まらず、間者を用いての戦法を行うなど中々に知恵者であり、その一方で万が一に敗戦となった際の対処も考えて置くなど徹底して慎重、かつ大胆に戦う猛将であり名将です。
そんな徐晃のとりかえばや、どうなっちゃうか?ちょいと考えてみましょうか。
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意外にも山賊出身の徐晃
さて徐晃と言えば乱世の人材ハンター曹操の配下になるまでには、楊奉という人物の部下にいました。この楊奉、どんな人物かは詳しく分かってはいません。
良く分かっていませんが山賊から李カク配下になり、李カクを見限って独立して、その性格は勇猛果敢だけど思慮が足りないなどと言われています。
因みに曹操は「楊奉の配下兵士たちはめっちゃ強い」と褒めていますが、これ後々にその配下の徐晃が曹操配下になると考えると「楊奉の配下たち(の中の徐晃)はめっちゃ強い」とも解釈できるかもしれません(欲目)。
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おぎやはぎレベルで褒め合う徐晃と曹操
さて前述したように、曹操は徐晃をめっちゃ褒めます。
「戦上手な将をいっぱい知ってるけど徐晃ほどの奴はいないね!」
「孫武や司馬穰苴にも勝てる!」
「前漢の名将、周亜夫の風格を持ってる!」
とべた褒めします。
因みに徐晃も徐晃で「曹操殿のような名君にお会いできて幸運だから、もっと功を立ててきちんとこの幸運に報いなきゃ!」と言っています。仲良しだね君たち。
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狂暴な逸話がない人格者
そんな勇猛果敢な名将でありながら、人格者でもあったのが徐晃の凄い所です。彼はここまで曹操に褒められても驕り高ぶるようなことはなく、部下たちにも常に親身に接していました。
その一方で規律には厳しく、指導が行き届いていたので、関羽を討った後の宴の時でも徐晃の軍の兵士たちは持ち場を離れることはなく、整然と陣を維持していて曹操を感嘆させたと言います。
正に理想の将軍であったのでしょう。そんな徐晃をとりかえばや……少々筆者の妄想にお付き合い下さいませ。
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関羽と取り替えると諸葛亮も満足
まずは関羽とのとりかへばやはどうでしょうか?
関羽もまた名将中の名将、武術、軍略に優れ、学問にも通じ、徐晃と同じく兵士たちにも気を配る人物でした。関羽はちょっとプライドが高すぎる所がありましたが、徐晃は驕ることもない人物です。
これには諸葛亮も「髭殿より良いですね」と満足顔かもしれません?
気になるのは魏に行った関羽ですが……張遼が仲立ちしてくれるとは言え、やっぱり曹操とは袂を別ちそうだな……。
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朱桓と交換すると朱桓が魏で大暴れ
呉からは朱桓でどうでしょうか。朱桓もまた、民や兵士を慈しみ、配下の兵士に恩賞として余財を与え、数多くの兵士の妻子顔や名まで覚えていたというほどの人物です。
ある意味、徐晃よりも兵士たちを慈しんだ人物です……が、朱桓には「プライド高すぎて殺傷問題を起こした」という呉特有の保持スキル(パッシブ)があります。同僚と軋轢を起こさない、というだけでも呉の中ではかなり優遇されますからね。こちらも徐晃ならば無理なく動けると思いますが……魏に行った朱桓はどうかな……?
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