江陵の地、やって来ますは孫呉の周瑜率いる数万人。先鋒隊の6000に、魏の牛金が率いて出陣するのは300名。
あわや壊滅かと思われますが、そこに出陣するは精鋭部隊を率いた曹子孝! 見事に配下を救い出し、凱旋する姿は正しく「天上人」。曹魏の要要で守勢に立たされる人物、そして驚くほどその場を守る曹仁。今回はその曹魏の巨大な要石、曹仁のとりかえばやです。
どうして?
若い頃から武勇に優れていた曹仁は、曹操とは同族。曹操の旗揚げに呼応して、千人ほどの兵士を連れて駆けつけました。その後は従弟の曹洪と同じく、曹操の重臣の一人として、欠かせない存在となっていきます。
因みに曹仁には曹純という弟がいるのですが、二人の父親はこの曹純が14歳の時に亡くなったそうです。この頃の曹仁は20歳くらいですが、理由は分かりませんが兄弟は別居していたとか……?
曹仁は若い頃はヤンチャしていたと言いますし、もしかして家を飛び出したりしていたんでしょうかね?
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正しく天上人
曹操に仕えてからは法を順守し、諸将の見本となった人物で、各所で武功を立てて行きます。その中でも有名なのが、周瑜から江陵を防衛した一戦でしょう。
押し寄せる周瑜軍の先鋒隊6000に対し、曹仁は配下の牛金に300で挑ませます。恐らく孫呉の卑劣な罠によって追い込まれた牛金隊、全滅かと思われるも、そこに颯爽と駆けつけるのが精鋭部隊10名を引き連れた曹仁! 曹仁は見事牛金たちを救出し、凱旋した曹仁は配下たちに「将軍は正に天上人だ!」と称えられたのでした。うーんカッコいいな!
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要所要所を防衛
さて結果として江陵は奪われるも、その後も馬超相手、そして関羽相手に重要要地に送られて主将を務めます。特に関羽相手に樊城を守ったのは有名ですね。
この戦いでは関羽に周囲を取り囲まれて籠城している最中、漢水の氾濫から樊城もほぼ水没、援軍に来た于禁隊も全滅、兵力もほとんど残っていない、正直筆者なら既に白旗モードですが、この中でも満寵と共に城兵を鼓舞して回り、樊城を見事守り切りました。
言ってしまうとこの樊城を落とせなかったことが関羽の敗走に繋がるので、実質曹仁が関羽を倒したとも言えるのではないでしょうか。ではそんな曹仁のとりかえばや、言ってみましょう!
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case1:夏侯惇
夏候惇もまた曹仁と共に長く曹操に仕え、良く信頼されていた人物です。正直曹仁と取り換えてもそこまで変化はないかな?と思うのですが……ただ、夏候惇を曹仁として扱うのはちょっと不安が残ってしまうかな?
夏侯惇も能力は高く、カリスマもあるのですが、戦闘面ではちょっと曹仁には及びませんからね……寧ろ、三国志演義ベースでとりかえばやして、関羽と樊城で戦う夏候惇は見てみたいかも?
その場合は満寵がどう動くかも中々楽しみではありますね。
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case2:関羽
前述したように、実質関羽に止めを刺したのは曹仁……と言えなくもありません。そう考えると関羽と曹仁もまた、因縁の人物。
しかし関羽と取り換えるとなると、曹仁の方がやや分があるでしょうか?
曹仁は関羽より配下や周囲と上手くやれますし、対曹操、という面でも同族(裏切らない(かもしれない))という大きなメリットがあります。関羽が手に入れば一時的には曹操大歓喜でしょうけれども、後になればなるほど「ここで曹仁がいたら……」となりそうですね。
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