三顧(さんこ)の礼、国士無双(こくしむそう)など、中国の古典は故事成語の宝庫です。短い言葉を見ただけでは、?と思っても、その裏側の意味合いを知ると「へー!」と思うのが故事成語です。
今回は、そんな中から危急存亡(ききゅうそんぼう)の秋(とき)を紹介しましょう。
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この記事の目次
危急存亡の秋とはどんな時に使う
危急存亡の秋とは、要するにエマージェンシーで、緊急事態を意味します。もう、赤ランプぐーるぐるです、サイレンぴーぽーぴーぽーです。
「危険が迫っているよ、ほっとくと滅亡だよ!」
これを、そのままズバリ言い当てているのが、この故事成語です。
危急存亡の秋とは、どうして生まれた?
これも三国志に由来する言葉です。西暦227年、蜀の宰相であった諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は、劉備の死後、二代蜀帝になった劉禅(りゅうぜん)の前で出師の表を読みあげます。出師(すいし)とは、総大将が出陣する事を意味し、表(ひょう)は皇帝に捧げる文です。つまり孔明は、若き劉禅に、自ら出陣する事を文書で報告したのです。孔明が出陣する理由は、もちろん劉備(りゅうび)以来の宿敵である曹魏(そうぎ)の打倒でした。
ただ、蜀の政治を動かしている孔明が、長く蜀を離れるのはリスクがありました。それは、劉禅がボンクラだという事でして、長い間、成都を留守にする間、劉禅が変な家臣に惑わされて、愚かな事をしないかと孔明は心配でした。
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危急存亡の秋とは、劉禅を脅す為に生まれた
劉禅は、西暦207年に、劉備と甘(かん)夫人との間に生まれました。生後、1年で長坂(ちょうはん)の戦いに巻き込まれますが、この時は趙雲(ちょううん)の活躍で無事に生き伸びます。ところが、父である劉備は、帰ってきた阿斗(劉禅の幼名)を見ても喜ばず
「お前のせいで趙雲を危険にさらした!」と
ドメスティック劉備と化して地面に放り投げられます。
それはさておき、幼少期に色々ヤバい事にあった劉禅ですが、苦労と言えば、それ位で、後は平平凡凡と兵を率いる事もなく、苦しい生活を送る事もなく豪族のボンボンとして育ち、非の打ちどころがない、バカ君主になってしまうのです。
いまや、偉大なカリスマ劉備は無く、魏は曹丕(そうひ)の時代で、後漢を滅ぼしてしまい、着々と国力を増やしていました。
一方の呉は、孫権(そんけん)が立派に成長して、国をがっちりと纏めています。一番ヤバいのは、まだ不安定な蜀だったのです。だのに、緊張感のない劉禅は、宮廷で遊び暮らし、深刻な蜀の状況など、何も知らないでいたのです。
孔明「このボンクラに、危機意識を持ってもらう為だ、少し脅してやらんといかん」
こうして、孔明が出師の表で持ち出したのが、危急存亡の秋という言葉だったのです。
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孔明に脅された劉禅はびっくりする・・
臣、亮申ス。先帝、創業未ダ半バナラズシテ、中道ニ崩御ス、今天下三分シ、益州疲弊ス。此レ誠ニ 危急存亡の秋 ナリ。
翻訳:あなたの家臣である亮が申し上げます、先帝は、漢の天下を取り戻すという夢半ばにして、お亡くなりになられました。今、天下は魏、呉、そして我が蜀に三分されましたが蜀の民は長い戦乱で疲れきっております。今はまさに、蜀が残るか滅びるかの瀬戸際なのです。
こう言われて、劉禅はビビリ、言葉を失います。近くに控えていた重臣は、蜀の前途が多難である事を改めて知り、深いため息をつくのです。
危急存亡の秋はどうして秋なの?
ところで、危急存亡の秋とは、どうして時ではないのでしょうか?
それは、作物の収穫の時期が秋だったからです。秋は一年の総決算の時期で、それが重要、重大という意味に変化していったのです。この危急存亡の秋に対応する言葉として、「天高く馬肥ゆる秋」という言葉もあります。意味は、北方の遊牧民は、秋までに馬を肥やして収穫した穀物を狙ってくるから気をつけよ!でした。
三国志ライターkawausoの独り言
さて、出師の表は天下の名文ですが、それは何も、後世の人を泣かそうと孔明が書いたのではありません。目の前にいるボンクラ皇帝、劉禅に、今がどんだけ危なくて、大変な時か、それに対して自分や蜀の家臣達が劉備の恩を忘れず、どんなに頑張っているのか?
それを伝えようとして書いたものなのです。
ですので、出師の表が悲壮なのは、劉禅のボンクラぶりを今に物語っていると言えるでしょう。だって、名君なら、孔明だって、そんな、俺達頑張ってますPRを、する必要は無い筈ですからね。