曹操(そうそう)には、13人の妻と、32人の子供がいたといいます。これを、多いと言うべきか、少ないと言うべきかは、迷うところです。
楊貴妃との恋で有名な唐時代の玄宗皇帝には、記載されているだけでも后妃27人に、子供が59人いましたから。
曹操も魏の初代皇帝という位置づけならば、それほど……騒ぐことでも……。いえ、当時の人口や状況を考えたら、やっぱり多いですけれどね!
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女性を政治には関与させない曹操
曹操はたくさんの妻を持ちましたが、彼女らを政治に立ち入らせることはありませんでした。そのため、妻たちは、三国志の中ではまったくの日陰の存在です。なかなか知られていないのでは、と思いましたので、ご紹介してみましょう。しかしながら、子供の名前くらいしか記録がない方ばかりです。
劉夫人(りゅうふじん)
曹操の最初の妻です。曹操がまだ若く身分も低いころの妻ですので、正室としては数えない場合もあるようです。長男の曹昂、次男の曹鑠、長女の清河長公主を生みましたが、早世します。姓は劉ですが、劉備とは関係ありませんので、あしからず。
丁夫人(ていふじん)
劉夫人が亡くなった後、迎えられました。子宝に恵まれず、劉夫人の生んだ曹昂をたいへん溺愛して育てます。宛城で曹昂が戦死したことで、悲しみから曹操と不仲になり、離縁しました。
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卞皇后(べんこうごう)
もともとは一介の歌妓だったところ、曹操に見初められて妻になりました。曹丕、曹彰、曹植、曹熊らを生み、他の妻が生んだ兄弟たちの養育もしました。倹約家でつつましく、影から曹操を支える、たいへん立派な女性だったということです。魏建国後、皇后を追贈されました。
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環夫人(かんふじん)
曹沖など3人の子供を生みました。
杜夫人(とふじん)
もともと、呂布の武将秦宜禄の妻で、子供もいましたが、秦宜禄が袁術のもとへ身を寄せた際、漢室の娘をあてがわれたため、離縁されました。関羽が曹操に呂布を破った暁には、杜夫人を妻にしたいと願い出たことで、曹操は興味を持ち、自分の妻としてしまいました。曹林など3人の子供を生みました。
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秦夫人(しんふじん)
曹玹など2人の子供を生みました。
尹夫人(いんふじん)
前夫である何咸との間に子供がいましたが、曹操の妻となり、曹矩を生みました。
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王昭儀(おうしょうぎ)
王昭儀(おうしょうぎ)は、晩年の曹操(そうそう)の寵愛を受けた女性であると言われています。しかし、寵愛を受けつつも子供には恵まれなかった彼女は、その後の身の振り方を考えないといけませんでした。
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孫姫(そんき)
曹上など3人の子供を生みました。
李姫(りき)
曹乗など3人の子供を生みました。
周姫(しゅうき)
曹均を生みました。
劉姫(りゅうき)
曹棘を生みました。
宋姫(そうき)
曹徽を生みました。
趙姫(ちょうき)
曹茂を生みました。
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