司馬懿仲達(しば・い・ちゅうたつ)と言えば、
諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の最大の強敵である以上に、
詩人の曹丕(そうひ)の学友の癖に詩がど下手くそという事で有名です。
いえ本当は、それ以上に、体が真正面を向いたまま首が真後ろを向くという
エクソシストも裸足で逃げ出す特技によって有名なのです。
一般には、それは慎重で用心深く抜け目がない司馬懿の性格を評する為の
誇張だと言われていますが、実は、生物学的に司馬懿が真後ろを向くのは、
不可能では無かったりするのです。
この記事の目次
どうして、鳥類は真後ろを向けるのか?
司馬懿の首が回る、回らない以前に、どうして哺乳類は首が
真後ろを向けないか?という事を考えてみましょう。
実は、哺乳類と違い、鳥類は長い首を容易く回転させて真後ろを見る事が出来ます。
白鳥の首の骨は25個、フクロウは12~14という首の骨があります。
首の骨が多いという事は、首を曲げる可動域もそれだけ広いという事になります。
白鳥やフクロウが首を広く動かせるのは、首の骨が多いからなのです。
逆に哺乳類は、そのほとんどの種が首の骨は7本と決まっています。
あんなに首が長いキリンでも、首の骨は7本、人間も7本です。
首の骨の数が少ないので可動域が小さく体が正面を向いたまま、真後ろを見る
というような事は、とても難しいという事になります。
哺乳類の例外、ミツユビナマケモノは首の骨が9本
しかし、同じ哺乳類でも一生の大半を樹上で過ごすミツユビナマケモノは、
首の骨が9個あります。このミツユビナマケモノは、木にぶらさがった状態で
真後ろを見る事が出来ると言うほどに首の可動域が広くなっています。
そう、実は哺乳類でも、真後ろを見る種類は存在するのです。
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人間でも、首の骨が8本、9本という人がいる
実は人間でも、希ですが、首の骨が8本あるという人がいます。
当人には自覚はありませんが、病院で首のレントゲンを撮る事で発覚する
という事が多いようです、また首の骨が9本という方もいるようです。
このような普通より首の骨が多いという人は、それ自体が病気という事はないのですが
骨の数が多い分、首のスペースが通常よりも詰まって、ストレートネックに
なってしまう場合が多いようです。
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ストレートネックとは何か?
ストレートネックとは、首の頚椎の生理的前湾角度 30度以下の
首の状態になる事を指していますが、これが病名というわけではありません。
通常の人は首の頚椎の生理的前湾角度が30~40度あり
適度に湾曲しているので頭の重さの負担が全て首にかかるという事はありませんが、
ストレートネックの人は湾曲がない分頭の重さをまともに首と肩で受け止めます。
この為に慢性的な頭痛や、首の痛み、肩コリ、または首を長時間圧迫される事による
手足の痺れなどの症状が出る事があります。
司馬懿はストレートネックによる、手足の痺れに悩まされていた
司馬懿の業績について記された晋書(しんしょ)帝紀(ていき)
高祖(こうそ)宣帝(せんてい)懿(い)には以下のような記述が存在しています。
漢建安六年、郡舉上計掾。魏武帝爲司空、聞而辟之。
帝知漢運方微、不欲屈節曹氏、辭以風[病垂中冠田脚廾]、
不能起居。魏武使人夜往密刺之
意訳:後漢の建安6年(西暦201年)郡の役人の上奏で
当時、司空だった曹操(そうそう)が司馬懿に漢王朝に仕えるように命令した。
帝(司馬懿の事ね)は漢の運命が衰微しているのを知り曹操の命令を断り
理由として「中風に罹り、体が麻痺して動く事が出来ません」と言った。
曹操はそれを聞いて、夜密かに刺客を送り、司馬懿が動くようなら刺せと命じた。
おお、司馬懿、曹操にあからさまに疑われ、ガクブルもんですね、、
こうして刺客に夜通し監視され観念した司馬懿は後漢に仕える事になります。
ああ、話はそこではなくて、司馬懿が仕官を断る理由にした
中風(ちゅうふう)という病気です。
この中風は、現代では脳血管障害の後遺症で、言語障害や半身不随、
手足の痺れなどを指しますが、古くは脳血管障害によらずとも
手足の麻痺や運動障害などを指していたようです。
司馬懿の中風とは嘘ではなかった!
ストレートネックの項には、肩コリや頭痛などと合わせて手足の痺れというのが
ありましたが、もしかして司馬懿は、ストレートネックのヒドイやつであり
実際に中風のような症状が出ていたのではないでしょうか?
当時の司馬懿は22歳と、とても中風のような年寄りっぽい病気には
なりそうにもなく、それで曹操も仮病を疑い嘘なら刺せと命じたのでしょう。
三国志ライターkawausoの独り言
こうして考えると、司馬懿は首の骨が8本ないし、9本存在し、
首の可動域がミツユビナマケモノ並に広かったと推測できます。
そして、その副作用としてストレートネックを患い、慢性の頭痛や肩コリ
時には手足の麻痺に悩まされたのではないでしょうか?
司馬懿の首は本当に真後ろに回った?信じるか信じないかはあなた次第です!!
本日も三国志の話題をご馳走様でした!
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歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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