中国を最初に天下統一した秦の始皇帝。
始皇帝は天下を統一すると色々な事を実施していきます。
上野の国立博物館では秦国の歴史や戦国七雄の文化などを
知ることができる展示会・始皇帝と大兵馬俑展を
10月27日~2月21日まで開催しています。
今回黒田廉はこの展示会に行って、実際に始皇帝と大兵馬俑展から
始皇帝が行った政策を覗いて来ました。
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この記事の目次
始皇帝が行った政策その1:銭の統一
(写真引用元:始皇帝と大兵馬俑展)
始皇帝は天下統一を行うと、流通面をよくするため
今まで各国が使っていた銭を秦国が使っている方孔円銭(ほうこうえんせん)に
統一するべく政策を実行します。
方孔円銭とは円形の銭の中に正方形の穴が開いている銭の事です。
では各国はどのような銭を使っていたのでしょうか。
戦国時代の各国の銭
戦国時代の国々は皆違った銭を使っていたため、かなり不便でした。
燕と斉は刀銭と呼ばれる小さい刀型をした銭を使用しておりました。
韓・魏・趙は布銭と呼ばれるスコップ型の農具のような銭を使用。
最後に楚は楕円形の小さな銅貨蟻鼻銭(ぎびせん)と呼ばれる銭でした。
秦を含め4つの銭を中国の群雄たちは使っておりました。
そのため流通面で非常に不都合が多いので秦の始皇帝は銭を方孔円銭と半両銭に統一します。
始皇帝と大兵馬俑では、実際に出土された品を説明と共に
見る事が出来き、見所の一つです。
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始皇帝が行った政策その2:重さの統一
(写真引用元:始皇帝と大兵馬俑展)
始皇帝は銭を統一させ、流通面での改革を実行します。
次に実行したのは重さです。
この重さをはかる入れ物と物の長さの単位が各国別々であったので
重さを図る容器をまず統一します。
容器を統一する両詔権(りょうしょうけん)や両詔量など用途によって
重さをはかる容器を製作した事で
全国の重さが均一化します。
両詔権は金属でできた分銅です。
両詔量は米を図る容器で、展示されている出土品は
1リットル程度(当時の5升弱)の容器です。
次に物の長さの単位の統一です。
長さの単位も各国バラバラであったので、長さの単位である一歩を六尺に
制定。こうする事で長さの統一される事になりました。
展示会では両詔権と両詔量が展示されており、
両方の容器には始皇帝が自ら書いた文章が刻んでありました。
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始皇帝と兵馬俑の個人的に最大の見どころ
(写真引用元:始皇帝と大兵馬俑展)
秦の始皇帝が作らせた水道管。
秦の始皇帝はこうした制度を実施。
始皇帝のこうした政策を実施していた当時の出土品を至近距離で見る事が
出来る展示会です。
そんな中私が目にしたのは驚きの出土品でした。
なんと水道管です。
秦の始皇帝は漏斗状(ろうとじょう=円錐状の物。
分かりやすく言うとじょうごのような形をしている物)の取水口と
L字の水道管を連結させ、円状の管を横方向に連続させる事で
地下に水を流していたそうです。
この水道管は私の中で最大の見どころであると思います。
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兵馬俑:始皇帝陵を囲むように配置
皆さんもご存知の通り、秦の始皇帝と言えば、始皇帝陵です。
今回開催されている展示会のテーマになっている兵馬俑は
始皇帝陵を囲むように穴の中に埋められております。
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はじさんクイズ
さて今回大兵馬俑展が開催されておりますが、兵馬俑は一体何体居るのでしょうか
お答えくださいまし。
1:1000体
2:4000体
3:8000体
さて答えは一体何番でしょうか。シンキングタイムスタートです。
正解3番の8000体です。
そうなんです。兵馬俑だけで8000体です。
他にも戦車の人形や馬の人形これらを合わせるともっと数は増えます。
さらにこの人形たちすべて東を向いています。
なぜ東に向いているのかは現在判明していません。
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始皇帝陵:実は滅ぼした六国の住民を厳しい土木現場で働かせていた
兵馬俑は始皇帝陵を囲むように配置されております。
この始皇帝陵はとてつもなく巨大な建物です。
この建物を建造するため、六国の民が総動員されました。
あまりに厳しい土木工事であったため、現場で働いていた六国の
住民らは何千、何万という死者が出たそうです。
では秦の国民は何をしていたかというと、始皇帝陵に入れる土器を作っていました。
始皇帝は自国の民と六国の民とに優劣をつける事によって、どちらの民が
上かを思い知るため、格差をつけたと一説では言われております。
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三国志ライター黒田廉の独り言
現在も開催されている始皇帝と大兵馬俑ですが、私が見に行ったのは
平日なのですが、かなりの人が来場されておりました。
またキングダムが秦王政を主人公にしている事もあり、
キングダムのキャラクターと写真が撮れるコーナーがあり、
キングダム好きには垂涎のスポットだと思いながら見ておりました。
2月21日まで開催されておりますので、はじさん読者の方々も行かれて見ては如何でしょうか。
私は時間が足りなくすべてを見る事が出来なかったので、もう一度行って見たいと思います。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう
それじゃまたにゃ~