広告

誰かに話したくなる!三国志にまつわる都市伝説『後漢・魏・呉・晋の●●●』

2016年2月24日


 

NHK大河ドラマ 平清盛風

 

日本にも「源平交代説」という迷信のような都市伝説があります。

天下を獲る順番が源氏、平氏の順番になっているものですね。

例えば、平清盛(平氏)→源頼朝(源氏)ですよね。

これは有名です。

1192(いいくにつくろう)鎌倉幕府ですから。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



日本にもある都市伝説

 

で、次は誰?っていわれると執権政治に代わるので、北条氏(実はバッチリ平氏なんです)で、次は室町幕府の足利氏(おもいっきり源氏)。室町幕府を滅ぼしたのは織田信長ですね(おもいっきり平氏)で、それを討ったのが三日天下の明智光秀(源氏)。

ここで百姓の豊臣秀吉が入ってきちゃうんですが、彼は藤原姓(関白になるので)の他に平氏も名乗っていたそうです

(このあたりがややこじつけ的なので都市伝説化してしまいます)。

 

 

そして江戸幕府の徳川家康(源氏)といった感じで、恐ろしく交互なんです。

近年では総理大臣すらもそれに該当するとか、しないとか……。怖いですね。

私は平氏だと、亡くなったおばあちゃんに教えてもらいました。

いつか天下を獲る順番が回ってくるのでしょうか。

 

関連記事:1185(いいはこ)になった?三国時代の幕府って何?

関連記事:名馬ズラリ!三国志〜日本史と英雄の偉業を支えた名馬たちを徹底紹介!

関連記事:世界不思議発見!三国志の時代の日本、西洋、インドの秘密を探る

 

 

中国には源氏と平氏はありません

曹丕

 

当たり前ですが、中国には源氏もなければ平氏もないです。

王朝を築いたひとの姓を考えると、劉家がやっぱり有名。

三国志では、劉家の後に曹家がきて、その後に司馬家がきています。

この順番が正式ですね。

孫家も王朝を建てましたが、正式には認められていません。

なぜなら中国は「正統論」の国だからです。

正統論とは、唯一無二の正統な皇帝と王朝が世界の支配者という考え方で、「天に二天なく、地に二王なし」という一文で表現されます。

献帝から禅譲を受けた文帝(曹丕)が正当な皇帝であり、他の劉備孫権は偽物扱いです。

 

関連記事:魏の五都の人口は?魏は斉になっていた?斉・呉・蜀の三国志

関連記事:衝撃の事実!三国時代に魏・呉・蜀なんて『国』は存在しなかった!?

関連記事:曹丕が建国した魏ってどんな王朝でどうやって滅びたの?

関連記事:赤壁の敗戦の原因は腸チフスだった?多くの魏将の生命を奪った伝染病とは?

 

 

二王を認めて欲しいひともいます

孫権 冠

 

孫権は必死に地方分権政治を訴えます。

これを二帝並尊の原則と呼びますが、粘ったものの滅亡します。

中国は基本的にそれを認めない国家ですね。

おもいっきり中央集権国家の路線です。

三国は晋に統一されます。

 

関連記事:司馬炎(しばえん)ってどんな人?三国時代を終わらせたスケベ天下人

関連記事:【五胡十六国】ねぇ?三国志の後ってどうなるの?アフター三国志を紹介

関連記事:五胡十六国の火種は曹操が撒いた?各時代の異民族を紹介

関連記事:終わりが悪かった呉の孫権の惜しさ

 

 

イエローギャング

暴れる黄巾党008

 

三国志好きなら必ず知っている有名なフレーズがあります。

「蒼天已(すで)に死す。黄天まさに立つべし」

ご存知、黄巾の乱です。みんなシンボルカラーの黄色の頭巾を被っていました。

まさにイエローギャングですね。

すべてを黄色に染めようとしました。言い出したのは自称・天公将軍の張角ですが、彼の好きな色だった。からではありません。

源氏に代わるのは平氏。と全く同じ考え方です。

 

関連記事:張角(ちょうかく)ってどんな人?太平道を創始した男の悲しい人生

関連記事:太平道の教祖、張角死後の黄巾軍はどうなったの?青州黄巾軍って何?

関連記事:張角が太平道信者を増やした方法

関連記事:【よくわかる】SEALDsは後漢時代にも存在した?党錮の禁とSEALDsの共通点

 

色の順番が決まっているのが、中国の都市伝説

 

 

実は後漢のイメージカラーが赤だったのです。(ちなみに蒼天だから青だと勘違いしている方がいますが違いますよ)

赤の次は黄色と天下を治める順番が決まっているのです。

不思議ですね。

ちなみに色は五色あります。ゴールドとかシルバーとかガンメタリックとかは無いです。

赤、黄、白、黒、青の五色です。

よって、後漢から正式に禅譲を受けた魏のイメージカラーもやっぱり黄色です。

ちなみにその後の晋は白ということになります。

 

五行継承というのです

陸遜

 

この王朝の継承の順は五行思想の原理からきています。

火(赤)から土(黄)が生まれ、土(黄)から金(白)が生まれ、金(白)から水(黒)が生まれ、水(黒)から木(青)が生まれ、木(青)から火(赤)が生まれるという循環です。

だから魏は禅譲を受けた後に元号を「黄初」とするのです。ちなみに孫権もそれを見習って呉の最初の元号は「黄武」としています。

呉のイメージカラーもイエローなんですね。

ちなみに魏から禅譲を受ける晋のイメージカラーは白です。

そして中国はその後、元が天下を治めるまでこの五色を繰り返すのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

袁紹&袁術

袁術の創った幻の王朝「仲」のイメージカラーは何だったのでしょうか。

ちなみに袁術は陳にゆかりのある人物の末裔であることを自称していますが、この陳こそイメージカラーが黄色なのです。

後漢の後の天下は黄色ですからね。

袁術もしっかりとその辺りを勉強していたのでしょう。偉いです。

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
ろひもと理穂

ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

-三国志の雑学
-, , , , , , ,