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【新事実】三国志演義の孔明!実は絶大な人気を誇った天才軍師をモデルとしていた!?

2016年3月8日


 

孔明南東の風

 

三国志演義に出てくる孔明は、白い扇を持って戦いに参加するイメージを

お持ちだと思います。

そんな孔明ですが、実はモデルとなった人物がいたのを知っていましたか。

その人物は明の時代の天才軍師である劉基(りゅうき)と言う人物です。

彼は中国で物凄い人気をもっており、その人気は孔明に匹敵するほどです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義とは一体何?

劉備勝ちまくり!仮想三国志

 

そもそも三国志演義は一体どのような書物なのでしょうか。

三国志演義は明の時代の羅貫中(らかんちゅう)と言う人物が、

陳寿の書いた正史「三国志」を元に劉備の蜀をヒーロー扱いに設定し、

魏の曹操を漢の王朝を乗っ取った悪者として描いた小説です。

当時の中国は娯楽が無く、羅貫中が書いた「三国志演義

は民衆から絶大な支持を集めます。

現在でも某アクションゲームやアプリゲームの三国志は、

大体「三国志演義」を元に作られており、若者から年配の方まで絶大な人気を

誇っております。

 

三国志演義の孔明

孔明 墨者

 

現在でも三国志演義は非常に人気で、劉備率いる蜀は三国の

中でも特に人気の高い国です。

この蜀の人材の中でも知名度・人気共に人気のある人物と言えばもちろん

劉禅です……じゃなくて諸葛孔明ですよね。

三国志演義の孔明は政治・軍事共に優れ、白扇をもって色々な人物に指示を行い、

蜀の国を支えた悲運の天才軍師として有名ですよね。

しかし三国志演義の諸葛孔明にはモデルとなる人物が居たのをご存知でしょうか。

 

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三国志演義の孔明のモデルとは一体誰

孔明 コペルニクス

 

孔明は史実に存在して紛れもない蜀の軍師です。

しかし羅貫中は一人の人物をモデルにして、孔明を三国志演義に登場させます。

その人物は明の太祖である朱元璋(しゅげんしょう)の軍師として活躍し、

明建国に貢献した劉基(りゅうき)という人物です。

 

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なぜ三国志演義のモデルとなったのか

孔明 東南の風

 

なぜ劉基が「三国志演義」に登場する孔明のモデルとなったのか。

その秘密は明の時代に出版された小説にあります。

その小説の名は「英烈伝」と呼ばれる書物です。

この書物の中で劉基は朱元璋を押しのけ、主人公に近い形で活躍します。

「英烈伝」は民衆から人気を得て、この小説で活躍している劉基は

天才軍師とあがめられ、民衆から絶大な人気を得る事になります。

この小説の中で描かれている鄱陽湖(はようこ)の戦いでは、劉基が風を起こして

敵陣に火攻めを行うシーンが描かれています。

羅貫中はこのシーンをパクリ、あの有名な赤壁の戦いが生まれる事になります。

この時孔明が東南の風を起こし、火攻めを行うシーンは、

「英烈伝」で劉基が風を起こしたシーンを三国志演義の赤壁の戦いに

用いております。

 

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占い師としても優秀な天才軍師

 

劉基は天才軍師として活躍しますが、占い師としても非常に優秀な人です。

彼はある日朱元璋に呼ばれ宮殿に赴きます。

朱元璋は焼餅を食べていましたが、後ろに隠し、劉基に後ろに何があるか占わせます。

この時劉基は朱元璋の後ろにある物を「焼餅」と見事に当てます。

朱元璋は彼の占いが的中した事に驚き、明王朝の今後を占わせます。

劉基は詩で明王朝の今後を予言します。

このように魔術的な事を行った事が民衆から人気を得る一因となり、

彼の名前はどんどん有名になります。

羅貫中もこの小説を読み、「英烈伝」に描かれている劉基をモデルとして、

三国志演義の孔明が生まれます。

さて民衆から絶大な人気を得た劉基とはどんな人物なのでしょうか。

 

 

劉基とはどのような人物だったのかその1:勤勉で優秀な青年期

 

 

 

劉基は元末期~明の草創期の人物です。

彼は若い時から勤勉で、科挙(かきょ=役人になるための超難しいテスト)

に一発で合格し、地元の役所に就職します。

彼は非常に優秀な役人で地元の県と民の為なら、上司と真っ向から意見を

対立させる役人でした。

しかし上司は劉基のこの態度が非常に憎たらしく、中央に彼の悪口を伝え、

左遷させてしまいます。

劉基は左遷させられた事に腹を立て、役所を辞めて隠居します。

 

劉基とはどのような人物だったのかその2:朱元璋に見いだされ仕える

張良 劉邦との出逢い編01

 

朱元璋は南京(三国志の呉の首都建業近辺)を手に入れたとき、有能な人材を集めます。

この時劉基は朱元璋に見いだされ、以後彼の軍師として仕える事になります。

彼は赤壁の戦いのモデルとなった鄱陽湖(はようこ)の戦いにおいて

朱元璋に火計を用いる事を進言し、3倍の敵軍を打ち破ります。

その後も彼は朱元璋の天下統一事業に尽力し、

明国建国後は民政を安定させる為様々な政策を打ち出します。

朱元璋は優れた献策を大量に進言してくる劉基を大いに信頼し、

「わが子房がやってきた」と褒めます。

 

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劉基とはどのような人物だったのかその3:讒言から逃れるため、引退する

 

 

劉基は明建国後御史中丞(ぎょしちゅうじょう)に取り立てられ、

国家の規律を整えるため風紀の乱れている地方役人や中央の政治家の態度を

正していく事に注力。

こうして明国の政治はクリーンになっていくのですが、

そんな中、他の家臣は彼の政策に恨みを持ち、明国の皇帝となった朱元璋に

讒言を繰り返し行います。

朱元璋は彼に絶対の信頼を置いていたため、気に止める事はありませんでした。

しかし劉基は他の家臣が自分に恨みをもっているのに気づき、

彼らが朱元璋に自分の讒言を行っている事を知り、官職を捨て

故郷に引退します。

彼は故郷に帰りますが、朱元璋が自分に疑惑の目が向いていると知ると

明の首都へ引っ越し、暮らすことにします。

首都で暮らすことで、自らに危険が無い事を証明する事で身の安全を

図ります。

 

劉基とはどのような人物だったのかその4:天才軍師の最後

 

 

劉基は首都で朱元璋や高官から疑われないよう慎ましく暮らしていきます。

その後病を得て病床に伏せる事になります。

彼は65歳で亡くなる事になるのですが、明建国の立役者に毒を盛られて

亡くなります。

明建国の功労者の人生はこうして幕を閉じる事になります。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

三国志演義の孔明は劉基をモデルとして書かれています。

孔明は劉備という恵まれた君主に巡り合う事ができた事で精神的な圧迫を

受ける事無く、戦術や戦略、政治に没頭する事が出来ましたが、

劉基は明が天下統一する前はイキイキと活躍し、天才的な軍師として活躍します。

しかし彼は明が天下統一を行うと、朱元璋や他の家臣から疑われ、精神的な

圧迫を受けながら毎日を過ごしていかなければなりませんでした。

孔明と劉基天才的な智謀の士としては似ていると思いますが、

君主に仕えている時の境遇が真逆で、

モデルとして設定するのには少し無理があると私は思います。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~。」

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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