この記事の目次
劉基とはどのような人物だったのかその1:勤勉で優秀な青年期
劉基は元末期~明の草創期の人物です。
彼は若い時から勤勉で、科挙(かきょ=役人になるための超難しいテスト)
に一発で合格し、地元の役所に就職します。
彼は非常に優秀な役人で地元の県と民の為なら、上司と真っ向から意見を
対立させる役人でした。
しかし上司は劉基のこの態度が非常に憎たらしく、中央に彼の悪口を伝え、
左遷させてしまいます。
劉基は左遷させられた事に腹を立て、役所を辞めて隠居します。
劉基とはどのような人物だったのかその2:朱元璋に見いだされ仕える
朱元璋は南京(三国志の呉の首都建業近辺)を手に入れたとき、有能な人材を集めます。
この時劉基は朱元璋に見いだされ、以後彼の軍師として仕える事になります。
彼は赤壁の戦いのモデルとなった鄱陽湖(はようこ)の戦いにおいて
朱元璋に火計を用いる事を進言し、3倍の敵軍を打ち破ります。
その後も彼は朱元璋の天下統一事業に尽力し、
明国建国後は民政を安定させる為様々な政策を打ち出します。
朱元璋は優れた献策を大量に進言してくる劉基を大いに信頼し、
「わが子房がやってきた」と褒めます。
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劉基とはどのような人物だったのかその3:讒言から逃れるため、引退する
劉基は明建国後御史中丞(ぎょしちゅうじょう)に取り立てられ、
国家の規律を整えるため風紀の乱れている地方役人や中央の政治家の態度を
正していく事に注力。
こうして明国の政治はクリーンになっていくのですが、
そんな中、他の家臣は彼の政策に恨みを持ち、明国の皇帝となった朱元璋に
讒言を繰り返し行います。
朱元璋は彼に絶対の信頼を置いていたため、気に止める事はありませんでした。
しかし劉基は他の家臣が自分に恨みをもっているのに気づき、
彼らが朱元璋に自分の讒言を行っている事を知り、官職を捨て
故郷に引退します。
彼は故郷に帰りますが、朱元璋が自分に疑惑の目が向いていると知ると
明の首都へ引っ越し、暮らすことにします。
首都で暮らすことで、自らに危険が無い事を証明する事で身の安全を
図ります。
劉基とはどのような人物だったのかその4:天才軍師の最後
劉基は首都で朱元璋や高官から疑われないよう慎ましく暮らしていきます。
その後病を得て病床に伏せる事になります。
彼は65歳で亡くなる事になるのですが、明建国の立役者に毒を盛られて
亡くなります。
明建国の功労者の人生はこうして幕を閉じる事になります。
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三国志ライター黒田廉の独り言
三国志演義の孔明は劉基をモデルとして書かれています。
孔明は劉備という恵まれた君主に巡り合う事ができた事で精神的な圧迫を
受ける事無く、戦術や戦略、政治に没頭する事が出来ましたが、
劉基は明が天下統一する前はイキイキと活躍し、天才的な軍師として活躍します。
しかし彼は明が天下統一を行うと、朱元璋や他の家臣から疑われ、精神的な
圧迫を受けながら毎日を過ごしていかなければなりませんでした。
孔明と劉基天才的な智謀の士としては似ていると思いますが、
君主に仕えている時の境遇が真逆で、
モデルとして設定するのには少し無理があると私は思います。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。
■歴史人物:
■何か一言:
今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!