「はじめての三国志」をご覧の皆さん、いよいよ2020年12月11日は、映画『新解釈・三國志』の封切り日です。これまでも三国志は数えきれない程、映像化されてきましたが、今回は、抱腹絶倒のコメディー要素が盛り込まれるという事で、kawasuoも楽しみです。
さて、三国志と言えば赤壁。
赤壁と言えば諸葛亮と周瑜ですが、三国志初心者の皆さんは、この2人の関係性を御存じないのではないでしょうか?
そこで今回は、三国志記事を書いて6年のkawausoが、どんな初心者でも理解できる分かりやすさで2人の関係を解説しますよ。
周瑜って誰よ?
最初に周瑜から解説しましょう。
『新解釈・三國志』のクライマックスは赤壁の戦いですが、この戦いでは曹操が率いる大国魏と、孫権が率いる小国の呉が激突します。
呉という国は孫権が君主ですが、実は3代目君主で、初代が孫堅と言い、2代目を孫策と言いました。
呉の国は小覇王と呼ばれた2代目の孫策が大きくした国で、3代目の孫権から見て、孫策は兄にあたります。
そして、賀来賢人演じる周瑜は、2代目孫策に仕え、義兄弟として呉の勢力拡大に力を貸した人物です。つまり、孫権にとって周瑜は兄の親友であると同時に、呉を大きくしてくれた頼りになる重臣なんですね。
おまけに周瑜はハンサムで音楽にも造詣が深く、軍師なみに計略を巡らせ、周囲からの信頼も厚い上、
絶世の美女と謳われた姉妹、大喬・小喬のうちの小喬を妻にしている非の打ち所もない羨ましい男なのです。
ここまでで、周瑜の説明はお分かりいただけたでしょうか?
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諸葛亮って誰よ?
一方の諸葛亮孔明について解説します。
諸葛亮は、元々徐州という土地の生まれですが、幼少の頃、曹操軍の攻撃に遭い、一族共々、荊州に引っ越してきました。
そして、伝手を頼って水鏡という先生の学校に入り軍師として立つための学問を修めます。
でも、えりごのみをしていたのか、俺は天才とうぬぼれていたのか、なかなか就職先を決めないうちに27歳になってしまい、焦り始めた頃に、劉備に三顧の礼を受けて軍師になります。
しかし、やっと就職先を見つけたのも束の間、劉備や諸葛亮がいた荊州の地は曹操の大軍の前に無条件降伏。2人は命からがら、荊州の東の端、江夏まで逃げのびます。
でも、このままでは、曹操に滅ぼされるのも時間の問題と考えた諸葛亮は、3万の兵力を持ち長江の南にあった独立勢力の呉に目をつけ、何とか呉と魏を争わせ曹操を破ろうと計略を巡らし、
たまたま訪問してきた呉の魯粛にくっついて呉に渡るのです。
こんなニート諸葛亮ですが、184㎝の長身で色白でスリム、黄承彦という荊州の豪族になぜか見込まれて、黄月英(橋本環奈)という美人の鬼嫁がいます。
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周瑜は諸葛亮を激しく嫌う
諸葛亮が呉に来た頃、呉では曹操軍相手では勝ち目がないと99%の家臣が降伏を主張していました。それもそのはず、呉の兵力3万に対し魏の兵力は80万で27倍の兵力差があるのです。
当初は周瑜も降伏すべきと考えていましたが、諸葛亮に「曹操は戦争に勝ったら大喬と小喬をゲットしようとしている」と聞かされ、妻を守る為に呉と戦う事を決意しました。
こうして、曹操を撃滅する為に、手を組んだ形の周瑜と諸葛亮ですが、周瑜は諸葛亮の才能が自分を上回る事に嫉妬を感じ、曹操と戦うまでに諸葛亮を理由をつけて殺害しようと計画します。
ところが、ニート君の諸葛亮は智謀では遥かに周瑜を上回り、そんな計略は最初から見抜いていましたとばかりに、周瑜の無理難題を次々にクリアしてしまうのです。
諸葛亮は、最後には気象まで操り、魏の軍勢を火攻めにする為に必要な東南の風まで吹かせます。いよいよ恐れた周瑜は、なりふり構わず部下に諸葛亮を襲撃させますが、すでにその頃、諸葛亮は船で呉国を離れた後でした。
その後も周瑜は、諸葛亮に散々に翻弄され、最期には、屈辱のあまり憤死するラストを迎えます。と、ここまでは三国志を脚色した三国志演義の話ですが、『新解釈・三國志』の周瑜も、大体、このキャラクター像だと推測します。
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本当の周瑜は孔明よりずっと優秀
しかし、諸葛亮の才能に嫉妬する周瑜というのは、歴史書の正史三国志をベースにして脚色した三国志演義の話であって、本当の周瑜は諸葛亮よりもずっと優秀な人物でした。
赤壁の戦いも、最初から魏と戦うつもりで、降伏を主張する家臣たちを説得し、同僚の魯粛や黄蓋と共に、曹操の水軍を火攻めにして撃破しています。
その間、劉備や諸葛亮は周瑜の水軍にくっついていただけで、ほとんど何もしていません。もちろん、そんな、なーんもしてない諸葛亮に周瑜が嫉妬心を抱くわけもないのです。
ところが、赤壁での大活躍が、後世周瑜の仇になりました。
劉備や諸葛亮を主人公に据えた三国志演義は、大活躍する周瑜が邪魔なので、周瑜の大手柄を全て諸葛亮がやった事にし、周瑜は諸葛亮の偉大さを引き立てるピエロにされてしまったのです。
3世紀に生きた周瑜が、その事実を知ったら、おのれ諸葛亮、人の手柄を横取りしおって!
なんて、本当にアンチ諸葛亮になるかも知れませんね。
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