三国志演義では戦下手として知られる劉備。
正史三国志でも夷陵で大敗するなど、大掛かりな戦争では負けている事が多いようです。しかし劉備の敗北は、相手が曹操や陸遜のような大物だからであり、それ以外の相手に対してはかなりの勝率を誇っています。
今回は、そんな劉備の勝利の中でも、一番劇的な博望坡の戦いを紹介しましょう。
曹操のダミー遠征
曹操は西暦200年官渡の戦いに勝利、さらに倉亭でも袁紹を敗戦させます。
袁紹は2度の敗戦の痛手もあり202年には病死、袁紹は後継者を定める前に病死したので袁家は長男の袁譚派と末子の袁尚派に分裂します。
曹操は袁譚と袁尚を何度も撃ち破り連戦連勝、諸将はこのまま袁家を滅ぼすべしと勢いづきますが、軍師の郭嘉は、袁譚と袁尚を追い詰めすぎるといがみ合いを捨て団結するので倒すのが厄介になると主張。
「南の劉表を攻撃するフリをして、袁家への圧迫を減らし袁譚と袁尚に好きなだけ骨肉の争いをさせてから攻略しましょう」と進言しました。
曹操は大乗り気になり、曹洪、于禁、夏侯惇と共に劉表の領内に進撃、西平に駐屯します。途中で袁譚が袁尚と内輪もめを再開し曹操に援軍を要請したので、曹操は引き返して鄴を目指し、曹操軍は曹洪が引き継ぎ、舞陽、陰葉、堵陽、博望を次々と陥落させます。
ダミーとはいえ、かなり本格的な規模の軍勢のようであり、劉表が本気で反抗してくるまで、取れる所まで取ってやれという曹操の思惑が伝わってきます。
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劉備出撃
この事態に劉表は慌てて傭兵隊長の劉備を新野から出撃させました。
ここから劉備は、瞬く間に博望、堵陽を奪い返し、荊州と豫州の州境の陰葉まで迫ります。官度と倉亭で大勝利して勢いづいている曹操軍を相手に少しも引けを取っていません。曹洪や夏侯惇、于禁は、劉備に押しまくられて防戦状態になりました。
自軍の劣勢を見た曹操は、夏侯惇に対して徐晃を派遣して戦力を増強しました。増援を受けて反攻を開始した夏侯惇に対し、劉備は無理をせず博望坡まで退却します。
博望で対陣した劉備は、やがて陣営を焼き捨てて逃走します。これは敵を誘うための陽動でしたが、夏侯惇は李典が劉備の罠であると忠告するのも聞かずに于禁と共に追撃を開始しました。
そして、李典の忠告通り、夏侯惇と于禁は博望に伏兵を伏せていた劉備の伏兵に撃ち破られます。一転して窮地に陥る夏侯惇と于禁ですが、後方に待機していた李典に救われ、やっとの事で退却に成功します。
Wikipediaによると、この時、劉備の兵力は4000、夏侯惇と于禁と李典の軍勢は120000とあり、劉備は30倍の敵軍を撃滅した事になりますがホントでしょうか?
正史には兵数については書いていないので何とも言えませんが…
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夏侯惇、于禁を手玉に取る劉備
正史の夏侯惇は戦下手で知られていますが、于禁に関しては、樊城で関羽に降伏する前までは、かなり勝率の高い武将です。
しかし、劉備は曹操が北に帰った後には、奪われた領地を続々と奪還すると同時に、援軍を増強された夏侯惇と于禁に対して、わざと博望坡まで撤退して陣を焼き払い夏侯惇と于禁を引き込んで伏兵で撃退したのです。
あくまでもダミーの遠征でしたが、曹操抜きとはいえ、于禁と夏侯惇を手玉に取る劉備は、三国志演義からは窺い知れない戦上手の一面が垣間見られますね。
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荊州の豪傑を集めた劉備
劉備の戦上手を裏付ける話として劉表の部将となり、新野に駐屯していた頃、荊州の豪族が劉備の下に続々と集まってきたそうです。これにより劉表は内心で劉備を恐れて疑い、備えるようになったそうですが、この逸話には、極めて重要な事実が隠されています。
豪傑たちが劉備に帰属したのは劉備の用兵が巧みであり、劉備の支配下に入れば、なかなか死なない事を察知したからと考えられるからです。劉備の魅力は人望だけではなく、戦争の巧みさであり、それゆえに荊州から豪傑が集結し、手柄を挙げるチャンスを求めたのでしょう。
誰だって、戦争が下手な将軍の下に就きたくはないですからねあるいは、魏延のような豪傑も新野時代の劉備に従って、そこから出世していったのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
今回は劉備の勝利の中でも、一番印象的な博望坡の戦いを解説してみました。
劉備の勝利は地味なのですが、徐州刺史の車冑を謀殺したり官渡の戦いでは汝南で2度も反曹操の反乱を起こして、袁紹をアシストしたり、有能な一面を見せています。
ここから分かるのは、劉備は複雑な戦略を立てる能力には弱いものの、目的が決まっている戦術レベルの戦いでは、かなり優秀な指揮官であるという事です。
参考文献:正史三国志
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