三国志の武将たちには、皆さんそれぞれ「イメージ」するものがあると思います。その中で司馬懿のイメージを挙げるとすると「諸葛亮のライバル」や「野心家」などがあるのではないでしょうか。
特にゲームなどで、司馬懿がまるで帝位の簒奪を狙っているかのようなキャラクターとして描かれることが目に付きますね。
今回はこれらのイメージがどこから生まれたのか、それを考察してみたいと思います。
司馬仲達という男
司馬仲達、司馬懿は後にその孫が晋王朝を開くこともあって、高祖と称されることもあります。しかし本人自身は魏の王に、曹操、曹丕、曹叡、曹芳と四代に渡って仕え続けました。
晋王朝を孫が開いたこと、息子である司馬師、司馬昭らが魏の実権を握っていったこともあり、父親である司馬懿も「帝位簒奪の野心」があった……と言われることもあります。
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狼願の相という相を持っていた司馬懿
そんな司馬懿は「狼顧の相」という相を持っていました。この狼顧の相とは、体は前を向いたまま首は後ろを向くことができるというとても特殊な相で、それを聞いた曹操が本当かどうか確かめようと後ろから呼びかけると、司馬懿はその通りだったという逸話が残っています。
このことから曹操は司馬懿のことを「大志と野望を持つ人物」と評したとされ、これも司馬懿が野心家であったとされる理由の一つとして考えられる要因となっています。
しかし一方で狼顧の相は狼のように用心深い、という意味ともされており、これだけで司馬懿が野心家であったとも言い切れません。
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曹丕からの信頼
事実、司馬懿は曹丕からとても頼りにされていました。曹丕が遠征に出る際には留守を任され、曹丕の後継者となる曹叡の後見を託されています。
またその曹叡自身からも深く信頼され、死の淵に瀕した際に、曹叡は司馬懿に「其方の顔を見ずに死ぬのが辛かった」とまで言われ、またその後継者である曹芳の後見を託されました。少なくとも魏の時代に置いて、司馬懿は皇帝たちの信頼を勝ち取っていたと言えるでしょう。
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