これは私自身が中二の頃にとても不思議に思ったことです。諸葛亮孔明の兄、諸葛瑾は、孫権の陣営で働いていましたよね。とうぜん、兄弟ならば、荊州でモラトリアム生活をしている弟に「お前も孫権軍に入らないか?」と声がけをしたと思うのです。
超優秀だというウワサは荊州に溢れていたから、孫権自身も諸葛瑾に、「お前の弟もうちで働いてみないか」くらいのことは何度か言ったのではないかと思うのです。なぜ孔明は孫権のところにいかなかったのでしょうか?
小説やマンガでは、ここはカッコよく、
「諸葛亮は自分が仕えるにふさわしい君主が現れるのを待って晴耕雨読の日々をあえて続けていたのだ」と説明されるところですが。
しかし諸葛亮も、奥さんを抱えていて、食っていかねばならない身。もし劉備がなかなか現れず、食い詰めた諸葛亮が奥さんにも「いい加減にあんたも働きなさい!」と怒られ、兄貴のツテを頼って呉に流れていたら?
地味なハナシのようでいて、そうなったら、その後の三国時代はとんでもなく展開が変わってしまったのではないでしょうか?
この記事の目次
諸葛亮が呉に入っただけでこれあけアガる孫権と、サガる劉備!
そもそも孫権というのは、三国志の中では「三番手」扱いされているものの、若くして偉大な兄の後を継いでもビビることなく、曹操にも簡単に屈せず、なかなか部下の信望も厚く、英雄としての素質はじゅうぶん平均以上の人物と思われます。
この人のところに諸葛亮が来たら、その才能を認めて、どんどん出世させたのではないでしょうか?
唯一心配なのが、呉にはクセの強い古参武将(周瑜とか)が多いので、人間関係の軋轢です。しかしこれは、魯粛や諸葛瑾のような人格者がうまくとりもってくれる、と仮定しましょう。
人間関係にさえ足元をすくわれなければ、諸葛亮が孫権の側近になっただけで、歴史に以下の大変化が起こるのです。
そうです。
赤壁の戦いに、劉備軍が不要になるのです!
孫権軍単体で、曹操を撃退する展開になってしまうのです!
言ってはなんですが、史実の赤壁の戦いも、勝因は諸葛亮のプランに孫権の兵力を動員できたこと。孫権側にとって、赤壁の戦いで劉備と組んだメリットは、諸葛亮という人材を「貸して」もらえたことだけだったともいえる。最初から諸葛亮が孫権の帷幕にいて作戦を練っているなら、特に劉備との同盟は不要です。
なんという劇的な変化でしょう!
赤壁の戦いで、孫権軍は単体で曹操を打ち破り、劉備は、孫権から相手にされず、関羽と張飛を連れてまた流浪の旅に出るしかなくなるのです。三顧の礼をサボッただけで、なんという残酷な明暗の差!
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諸葛亮が呉に入っただけでこれだけやれることが増える孫権
そして、孫権軍が単体で曹操を撃破した場合に起こることを考えてみましょう。まず、史実では劉備が漁夫の利で手に入れた荊州。この荊州という拠点は、孫権が得ることになるでしょう。
孫権が荊州を獲ってしまうということは、本来、劉備が荊州侵攻作戦をとった時に集まった、荊州出身の名将たちが、ごっそり、孫権の人材として確保されてしまいます。
五虎将軍の一人になるはずの黄忠すら、孫権が荊州を獲ってしまえば、劉備と出会うこともなく、まるまる孫権のカードになってしまうのです!
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諸葛亮が呉に入っただけで孫権軍の帷幕はこのようになる!
その他に龐統や馬良や魏延も、劉備との出会いの機会がなくなるために、孫権に流れてくる可能性があります。そうなった場合、孫権の帷幕はどんなメンバーになるのでしょうか?
赤壁の戦いの功績で諸葛亮が大出世しているはずなので、最重臣としては、戦略面が諸葛亮、軍事面が周瑜、という二大巨頭体制になっています(なお、このシナリオでは、周瑜が諸葛亮に何度も騙され煮え湯を飲まされる構図がありませんので、二人の相性は悪くとも、仕事はちゃんと分担できるでしょう。つまり、周瑜がストレスで血を吐いて急死することもなくなります!)。
参謀格としては、龐統、陸遜、馬良、諸葛瑾たち。将軍格としては、黄忠、魏延、呂蒙たち。これはかなり強力な人材国家といえるのではないでしょうか!
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まとめ:それでも魏の人材がいちばん凄いという残酷さ
今回は、諸葛亮が孫権に合流するだけで、三国志の歴史は大きく変わってくるのではないか、というシミュレーションをやってみました。ですが、先ほどのそうそうたるメンバーのリストを見ても、決定的な問いが思い浮かびますよね。
そうです。「人材は分厚くなったけど、これでも、曹操軍には見劣りがするのでは?」と。
たしかに、孫権の陣営にこれだけのメンツをそろえても、いくらでも有能な参謀格や将軍格が登場してくる曹操軍の分厚さにはかなわないようです。ということは、やはり曹操の「人材コレクター」としての力量は凄かった、ということでは!
諸葛亮が孫権軍に入っても、天下取りを覆すことはできず、孫呉の寿命をいくらか長くできたくらいで終わるかもしれません。それだけ、人材といえば曹操軍が圧倒的です。これが三国時代の恐ろしい現実です。
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三国志ライター YASHIROの独り言
それに、曹操のところには、長い目で見れば、悪辣で嫌われ者扱いとはいえ、強烈な人材が続々と生まれてくる、司馬懿の一族がおります。
けっきょく最後は、司馬一族がすべてを持って行ってしまい、司馬炎による中国統一というオチには変化がないのかもしれません。
「諸葛亮が孫権軍に入っていたら」という、孫呉ファンには夢のようなシミュレーションですが、やはり曹操の人材集め能力が凄かった、というオチと、やはり最後は司馬懿の遺伝子がぜんぶ持っていく、という二段オチに終わってしまい、そんなに、夢は、広がらなかったかもしれません。孫呉ファンの方々には、なんとも、すいません。
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