太史慈くん、どうにも影が薄い気がする? 呉の名将、というと皆さんは誰が思いつくでしょうか?
筆者はやはり、諸葛瑾、諸葛子喩、呉の虎、諸葛子瑜「之驢」……という辺りを挙げさせて頂きたいと思いますが。
そう、魏が桁違いに人材が多いとはいえ、呉だって十分人材は豊富です。
しかしそんな中でも……なんかちょっと……ちょっとほんのり影が薄い。今回は太史慈に注目して見たいと思います。
この記事の目次
太史慈という人物
まずは太史慈について、良くご存知であろうことのおさらいを。多くの人が挙げる太史慈のイメージは
「孫策と一騎打ちした」
「孫策に捕まった」
「「助けてくれるなら手勢を率いて仲間になります」」
「孫策、それを受けて太史慈を逃がす」
「太史慈、孫策の信頼に応えてちゃんと帰ってくる」
この辺りのエピソードが、よく知られている太史慈のエピソードではないでしょうか。
太史慈伝に記述されている太史慈像
この太史慈と孫策のエピソードは、別に三国志演義などでの創作という訳ではありません。細部は違いますが、正史、太史慈伝にはこの話が載せられています。ただ細部として違うのは
「劉繇配下だった太史慈、孫策と一騎打ちするも横やりが入って二人とも引く」
「その後、劉繇敗北して太史慈は手勢をまとめて独立→捕縛」
という要素が追加されます。
孫策の死後の太史慈
そして、多くの場合で「太史慈のここからは知らない……」という人が増えると思います。この後、200年に孫策が死亡。太史慈と孫策がガチ殴り合いから友情が芽生えたのが195年として、そこから僅か五年で孫策は三国志の舞台から退場するのです。
ただ太史慈はそこからは孫権に仕えて、劉表、黄祖との戦いで活躍し、孫権は彼の活躍に大いに喜んだとか。ですが太史慈自体も、206年に病死してしまいます。
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どうして太史慈の印象は薄いのか?
さて多くの場合で知られている太史慈とは、上記の孫策とのエピソードが顕著であり、それ以降は良く分からない……というのが正直なところではないでしょうか。
三国志演義関連となると主に取り上げられるのは孫策との友誼エピソードのみとなり、余計に太史慈の印象が薄くなってしまっていると思います。では、どうして太史慈の印象がこうも薄められてしまったのか。その理由は、二つあると考えました。
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イメージ崩れるVo.1 :文官だった太史慈
正史によると、太史慈は元は文官でした。そしてその際に、訴訟問題が起こります。この時「先に上奏できた方が有利」ということで、太史慈は急いで上奏しようとします。しかし、実際に上奏できそうなのは相手の方で……ここで太史慈、一働き。相手を言いくるめて上奏文を奪い取ってビリビリにしちゃったぜ!
このおかげで訴訟には勝てたものの、太史慈は逃亡することになったのでした……ってなんか太史慈のイメージと違わない?相手を言いくるめて騙して逃げちゃうなんて……こんなエピソード入れたら後々印象が悪いのでカット。となると、太史慈の前半が大きく削れてしまうんですね。これが太史慈の印象を薄くしている理由の一つであると思います。
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イメージ崩れるVo.2:太史慈の死の間際
そしてもう一つ、今度は太史慈の終幕付近のお話です。とは言え、こちらは裴松之の注によるものなので信ぴょう性があるかどうかはやや疑わしいのですが。実は太史慈、死の間際に
「男たるもの剣を持ちて皇帝の階段を上るべきであったのに!」と声高らかに発して亡くなったというのです。まあ確かに当時の人々の野心としてはありでしょう、大いにあり。
しかしこちらもまた義侠心に溢れる太史慈と孫策エピソードを残した太史慈のイメージを損なうのでは……?とすると、このために太史慈のイメージはどんどん薄められて行ったのではないか、と思うのでした。
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三国志演義での太史慈
因みに三国志演義の太史慈は、赤壁の戦い以後まで生き延びています。更に言うならば張遼とも一騎打ちで引き分け(引き分け!?)。その後は張遼の策によって矢傷を受けたため、その傷が原因で退場。
正史では早くに退場するのにも関わらず、張遼と戦ってからの退場と中々の好待遇。そう考えると羅貫中先生も、もっと太史慈を活躍させたかったのかな、と思う筆者でした。
三国志ライター センのひとりごと
筆者は三国志演義から、それも横山三国志を読み耽ってから三国志の世界にどぼーんしたので、やはり太史慈のイメージとしては「孫策との約束を守った」「信じた孫策もえらいし、それに応えた太史慈も立派だね!」という印象が強いですね。それだけに正史の記述を見て驚いた次第です。
なんかやたら印象が薄められているように感じる太史慈ですが、実は彼にはそんな一面もある興味深い人物なんだよ……と、知って貰えれば幸いです。
どうぞ三国志沼の新たな一歩へ。どぼーん。
参考:呉書太史慈伝
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