三国志史上、最強の武将として知られる人中の鬼人呂布(りょふ)。しかし、強い連中がゴロゴロしている三国志世界で、より呂布(りょふ)の存在に異彩を加えているのは、彼の病癖(?)とも言える裏切りの連続でしょう。およそ恩とか義理とは縁遠い彼は、少なくとも6人の英傑に仕えたり、世話になりながら、全てを裏切っています。ざっと、呂布(りょふ)の裏切りの遍歴を見ていきましょう。
前回記事:35話:曹操、陳宮の裏切りで兗州を呂布に奪われる!!
この記事の目次
呂布の生涯
辺境に生まれた呂布(りょふ)は、幼い頃に両親を亡くし、丁原(ていげん)という男に拾われ養子になります。
しかし、洛陽で菫卓(とうたく)が大金と将軍の地位と赤兎馬を餌に呂布(りょふ)を引き抜こうとするとこれにあっさりと応じて養父の丁原(ていげん)を殺害。
呂布は董卓と共にするが
ところが、その菫卓(とうたく)とも、絶世の美女・貂蝉(ちょうせん)を巡って不仲になり王允(おういん)の誘いにのり、菫卓(とうたく)を殺害。
菫卓(とうたく)の仇討ちに長安に攻め上ってきた李傕(りかく)・郭汜(かくし)の軍に敗れると今度は、袁術(えんじゅつ)の配下になろうとして、歓待はされますが、仕官は結局は拒否されます。
袁術は呂布の性格などを見抜いていた
無能の評判が高い袁術(えんじゅつ)ですが、呂布の胡散臭さを見抜いて使わなかったのは相当な人物鑑定眼と言えるでしょう。
呂布は袁紹のところに行く
次には呂布(りょふ)は袁術(えんじゅつ)とは犬猿の仲である袁紹(えんしょう)の下に行き、ここでは手柄を立てますが、手柄を自慢し過ぎて袁紹(えんしょう)に煙たがられ、殺されかけて逃亡し、次には張楊(ちょうよう)を頼って暗殺されかかり、次には張邈(ちょうばく)と連携して兗州を陥れ、曹操(そうそう)と対決しますが、これに勝てずに兗州を放棄してしまいます。
曹操に破れ、呂布は劉備を頼りに行く
今度は、呂布(りょふ)は徐州を陶謙(とうけん)から引き継いでいた劉備(りゅうび)を頼ります。呂布(りょふ)の言動に一貫性がない事を劉備(りゅうび)は怪しみますが、その武力には魅力があったので目をつぶり配下に加えます。
ところが、劉備(りゅうび)が袁術(えんじゅつ)と戦う為に本拠地下邳を留守にすると呂布(りょふ)はその隙を突いて徐州を奪い独立してしまうのです。
劉備は呂布に裏切られる
劉備(りゅうび)は、やむなく一時、呂布(りょふ)と和睦してあべこべに呂布(りょふ)の配下のような立場になりますが、呂布(りょふ)は矢張り劉備(りゅうび)に脅威を感じてこれを攻撃した為に劉備(りゅうび)は逃げて曹操(そうそう)を頼っていくのです。
呂布が目障りになったので曹操が動く
その後の呂布(りょふ)は、曹操(そうそう)と袁術(えんじゅつ)との間を行ったり来たりします。しかし、呂布(りょふ)がいよいよ目ざわりとなった曹操(そうそう)が直接に軍を率いて呂布(りょふ)を攻撃すると多勢に無勢になり呂布(りょふ)は追い詰められます。
困った呂布(りょふ)は、袁術(えんじゅつ)に援軍を求めますが、曹操(そうそう)と戦い疲弊した袁術(えんじゅつ)には呂布(りょふ)に援軍を送る力はありません。
ついに呂布(りょふ)は曹操(そうそう)に捕まり最後を迎えています。
呂布の人生
このように呂布(りょふ)は、少なくとも6名の英傑に関わり、裏切ったり迷惑を掛けたり殺されかけたりしています。ただ、呂布(りょふ)はただの恩知らずの裏切り野郎と断言するには、惜しい、妙に情に厚い所もあるのです。
例えば、劉備(りゅうび)が留守にした下邳を奪い取った時ですが、和睦を求めてきた劉備(りゅうび)を見殺しにはせず、袁術(えんじゅつ)に攻められた劉備(りゅうび)に自らが援軍に出向きこれを助けています。
まあ、「元はと言えば呂布が、、」という劉備(りゅうび)の言い分も分かりますが根っからの悪党であれば、和睦を受け入れず劉備(りゅうび)が袁術(えんじゅつ)に殺されるのを黙ってみている方法もあったのです。
これを考えると呂布(りょふ)は無節操ではあるが、場面、場面では、男気を発揮している部分もある好漢の部分もあったと言えるでしょう。ただ、中長期的な天下を狙うビジョンがないので、全てが行き当りばったりで、それだけに裏切りが際立つのだと思います。