大人気漫画、キングダムの主人公、信(しん)新たに飛信隊を増強し
今回の対趙戦争で手柄を立てれば大将軍への昇進は間違いない勢いを持っています。
しかし、その後、始皇帝(しこうてい)の天下統一の後、信はどうなるのでしょうか?
そこには、逃れられない歴史の渦に巻き込まれた悲惨な最期が待っています。
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この記事の目次
信はいつ大将軍になるのか?
秦王政の身代わりとして、死んだ幼馴染み、漂(ひょう)との約束が
「天下の大将軍になる」だった信ですが、史実ではいつ大将軍になるのでしょうか?
それは紀元前229年から228年、王翦(おうせん)が再び趙に進撃した頃で、
信は趙の太原(たいげん)、雲中(うんちゅう)に出征している事が確認されます。
別働隊という可能性もありますが、別個で一軍を率いているとも言えるので、
この頃には、大将軍に昇進していたと考えられます。
紀元前228年には、趙では李牧(りぼく)が佞臣郭開(かくかい)の讒言が
もとで殺害され、趙が滅亡する年に当たっています。
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燕の太子、丹の首を挙げる大戦果をなす紀元前226年
六国が次々に滅ぼされる中で危機意識を抱いた燕(えん)の太子丹(たん)は、
暗殺者・荊軻(けいか)を派遣して秦王政を暗殺しようとして失敗します。
それに怒った秦王政は、王翦(おうせん)、王賁(おうほん)それに信を抜擢して
燕を攻めて都の薊(けい)を陥落させます。
この時、燕王の喜(き)と太子の丹は遼東(りょうとう)まで逃れますが、
信は単身で1000騎を率いて追撃し太子丹の首を斬りました。
秦王暗殺の首謀者の首を斬ったのは大手柄と言ってよく、
その後に行われた、対楚戦で信が抜擢される布石になります。
蒙恬と楚を攻めるが大敗、20万の兵力を失うダメダメ
紀元前225年、秦王政は、楚を滅ぼそうと考え、王翦と信を呼んで
幾らの兵力が必要かを質問します。
王翦は「60万」と答え、信は「20万もいれば楽勝」と言いました。
秦王政は、威勢の良い信を気に入り、信と蒙恬(もうてん)に楚の攻略を任せます。
意見を退けられた王翦は後難を恐れて隠居しました。
信は20万を2つの部隊に分け、信は10万を率いて平輿(へいよ)で、
蒙恬は同じく10万で寝丘(しんきゅう)にて楚軍に大勝します。
その後、合流した李信と蒙恬は、郢(てい)周辺を攻め再び楚軍を撃破しました。
度々の勝利で勝ったような気分になる信と蒙恬でしたが、どっこい、
それは楚の項燕(こうえん)の謀略でした。
そして、城父(じょうほ)で李信と蒙恬が合流した所を項燕は急襲、油断していた
秦軍は大混乱に陥り敗北、兵士の大半を失い七人の将校を失う事になります。
本来なら敗戦した将軍は死罪ですが、信も蒙恬も咎めを受けていません。
王賁と再び燕を攻め、そして斉を降伏させて天下統一
信と蒙恬が失敗した結果、項燕は秦まで攻め込んで
函谷関(かんこくかん)に取りつきますがそこで秦王政は
隠居した王翦を呼び戻して対応し、王翦は項燕を撃破、
さらに勢いを以て楚を撃破して楚王を捕えて楚を滅ぼしました。
しくじった信の出番は三年後、紀元前222年に遼東に逃げていた
燕王の喜を滅ぼし、さらに趙の王族で代(だい)に本拠地を置いた
代王嘉(か)も滅ぼし、これで完全に燕が滅亡しました。
これで秦王政の評価を取り戻したのか、翌年の紀元前221年には
最後に残った斉の討伐軍に選ばれ、王賁、蒙恬、信がそろい踏みで進軍。
援軍を求める相手もなく、斉王は降伏し中華は統一されました。
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統一後、忽然と名前が消える信の不安なその後・・
しかし、秦による中華統一の後、信の名前は忽然と歴史から消えます。
正確には信ばかりではなく、王賁も、楊端和(ようたんわ)も王翦も
羌瘣(きょうかい)も、記録が残る蒙恬は例外として、
多くの武将のその後の消息が不明なのです。
その大きな原因としては、紀元前206年、秦を滅ぼして咸陽に入った
項羽(こうう)が、徹底的な掠奪の後に咸陽に火を放ち公文書を
灰燼に帰したので、大半の秦の歴史資料が焼けてしまった事にあります。
ですが、それ以上に深刻なのは、中華史上最悪、最凶の宦官、
趙高(ちょうこう)により、秦の功臣達が皆殺しにされてしまった事でした。
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保身に走った趙高により何万という功臣が殺された
始皇帝は遺言で、その後継者をオルドスに飛ばした
長子の扶蘇(ふそ)にしていたと言われています。
ところが、始皇帝が巡幸中に死去した為に、始皇帝の死は
始皇帝お気に入りの宦官趙高により秘密にされました。
その理由は、趙高が扶蘇と仲が悪かったからです。
かくして趙高は、同じく扶蘇と仲が悪かった丞相の李斯(りし)を抱き込んで
遺言の改竄をし、末子の胡亥(こがい)を後継者にしてしまいます。
そして、本来の後継者である扶蘇と後見人の蒙恬を自殺させます。
胡亥は李斯ではなく、家庭教師である趙高に懐いていました。
こうして、権力を握った趙高は、巻き起こる農民反乱などそっちのけで
自分の邪魔になりそうな、始皇帝の時代の功臣達を殺していきます。
やがて、趙高に反目した李斯も罪をなすりつけて殺しています。
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文官の章邯が一番メジャーな将軍という秦の人材不足
秦末の陳勝・呉広の乱で、史書に名前が見える秦の将軍は章邯(しょうかん)や
王賁の息子の王離(おうり)、渉間(しょうかん)、蘇角(そかく)などしかいません。
そもそも、一番有名な章邯は、元は少府(しょうふ)という官名を持つ
高級貴族であり武官でさえ無かったのです。
ここにも趙高に殺され尽くした秦の人材不足が見えてきます。
趙高の虐殺がないなら、いかに農民反乱とはいえ、こうも簡単には、
拡大する事は出来なかったでしょう。
始皇帝に近かった信は、蒙恬同様に真っ先に粛清された!
趙高は、優秀な人物として評判の高い扶蘇を差し置いて、
胡亥が即位した事で遺言を偽造したのではないか?という疑惑を
常に秦の重臣や王族に向けられていたでしょう。
その恐怖心は、真っ先に軍を率いて六国平定に尽力した、
将軍達に向かったに違いありません。
ましてや、楚と戦って敗北しても罪を不問にされる程に、
始皇帝と親しかった信など、生かしてはおけなかったでしょう。
同様に、楚での敗戦を不問にされた蒙恬が真っ先に、
偽の勅命で自殺を命じられたように・・
信は、一族もろともに刑場に引っ張られ、哀れ罪人のように、
首を落された、そんな最期だったのかも知れません。
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新唐書にある信の子孫の話はどうなるの?
「ちょっと待って!信には子孫がいるんじゃないの?」
そういう疑問を持つ人がいるでしょう。
確かに新唐書(しんとうしょ)によると、信こと李信には李超(りちょう)という
子孫がいて、さらにそこから、漢の飛将軍、李広(りこう)に繋がり、そこから、
五胡十六国時代に西涼を建国した李暠(りこう)に繋って唐の太祖、
李淵(りえん)に繋がるようです。
しかし、この新唐書は西暦1060年に編纂されたもののようです。
確かに、現在は失われた古い系図を元に編纂した可能性も捨てきれませんが
それにしては、あまりに英雄から英雄へ繋ぎすぎではないでしょうか?
さらに、李信の最期や李超の記録がまるでなく、突然に李広に繋がり、
今度は五胡十六国時代に繋がるというのもあまりに唐突すぎるように思います。
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キングダムライターkawausoの独り言
では、キングダムでは、主人公である信の処刑で漫画が終わるのか?
というと、さすがに漫画的には、それはないとは思います。
恐らくは新唐書の記述に従い、信には李超(りちょう)という息子が生まれ、
彼は父とは異なり、秦ではなく漢の大将軍になって、
始皇帝が急激な改革により失敗させた、法の支配による中華統一を
劉邦(りゅうほう)の時代に実現させる、そういう流れになるのではないでしょうか。
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