三国志演義の菫卓(とうたく)の横暴ぶりに一層の憎たらしさを加えているのは、無敵の武力を持つ呂布(りょふ)の存在でしょう。
さて、この呂布、菫卓とはどのような関係なのでしょうか?
そして、どのような経緯で菫卓のボディーガードをするようになったのでしょう?
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董卓と呂布の出会い
菫卓と呂布の出会いは、西暦189年まで遡ります。その頃、後漢の皇帝、霊帝が死去、その後の皇位継承者を巡って霊帝の妃、何皇后の兄である外戚、何進と、霊帝のお気に入りである宦官の勢力である十常侍が対立していました。
何進は、自分の妹である何皇后が産んだ劉弁を強引に皇位に就け、さらに、自分に反対し邪魔になる宦官を根絶やしにする為に軍閥の丁原に兵力を率いさせ洛陽に呼び寄せます。
この丁原を養父としていたのが、呂布で、この頃は丁原のボディーガードをしていました。
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十常侍、何進を暗殺、袁紹ブチ切れる
しかし、この圧力を嫌った十常侍は、何進を暗殺する事を計画し、実行してしまいます。
死んだ何進の配下である袁紹は逆上して弔い合戦で十常侍を皆殺しにすると同時に宦官二千名を殺戮しました。漢王朝が大混乱に陥る中で、権力の空白を縫い、洛陽に入ったのが、軍閥である菫卓でした。
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董卓・少帝を手に入れる
菫卓は、軍事力と自身が保護した少帝の威光を背景に、独断専行の政治をしようとしますが、これに真っ向から反対したのが同じ軍閥である武人の丁原でした。
「菫卓!貴様は、どんな権限があって勝手な事をしているのだ!!」
菫卓は逆上して剣を抜こうとしますが、丁原の背後の呂布が身構えたのを見てとっさに刀を収めて怒りを押し殺します。個人としての武芸も相当にある菫卓は、呂布の力が自分を上回る事を見抜きここで暴れるのは得策ではないと考えたのです。
そこで、配下の参謀の李儒に呂布について調べさせると、呂布は義理には薄く、忠誠心にも欠ける事が判明します。
呂布にプレゼントを送る董卓
菫卓は、呂布の陣営に使いを送り、金銭と名馬赤兎馬(せきとば)をプレゼントして、このように囁きます。
「将軍の武勇は古今無双です、それが丁原の如き田舎の将に仕え、用心棒のようなつまらない仕事に甘んじている。それは、誠に勿体ない事ではありますまいか?
ここで丁原を討ち、将軍が本来得るべき地位を得られるよう願います」
富と野心と名声欲に憑かれた呂布は、即座に丁原を斬り、その配下の兵と共に、菫卓に帰順、菫卓は新たな兵力と呂布という無敵のボディーガードを得るに至ります。さて、呂布は丁原との間でも、養父と養子の間柄でしたが、菫卓もそれにならったのか、呂布と父子の関係を結んで扱いました。
呂布が非常に裏切りやすい性格なのを見越して、出来る限り自分に近い立場に呂布を置きたかったのかも知れません。
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呂布また裏切る
呂布は、それ以来、常に菫卓の周辺にいて、袁紹を盟主とする反菫卓連合軍を破るなど数々の手柄を立てます。しかし、生来の裏切り癖は直りませんでした、、三国志演義では、呂布は王允の計略で、美女貂蝉を取りあい菫卓を殺害した事になっています。
また正史三国志では、菫卓政権で、司徒を務めた王允が呂布が些細な罪で、菫卓に戟(手槍の一種)を投げつけられた事を恨んでいる事、或いは、呂布が菫卓の侍女と姦通している証拠を掴むなどして呂布を脅迫し菫卓暗殺計画に引きこんでいきます。
暗殺には成功し、呂布は王允と共に束の間、漢の天下を回復させますが、菫卓の配下の李傕と郭汜が処罰を恐れて洛陽に攻めのぼると敗北し王允は殺され、呂布は洛陽を落ちのびていきます。
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呂布の流浪が始まる
その後の呂布は、流浪し、袁紹、張邈、曹操、劉備、というような諸候の下で居候をしていますが、自惚れが強くて上昇志向が強い呂布は、どんな待遇を受けても満足できずに裏切りを繰り返して、最期には曹操の手によって処刑されるのです。最初に我欲に負けて養父と慕った丁原を斬り殺した時から、呂布の運命は定まっていたのかも知れません。
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