さて、今回のテーマは呉の軍師、周瑜(しゅうゆ)の魅力です。
女ライターが「周瑜様が好き!」と言うと、「どうせ顔だろ?」と思われるかもしれませんが……
それだけではないのが、周瑜(しゅうゆ)なのです。
※演義では孔明のすごさを演出するために、
周瑜の業績や魅力を差し引いて嚙ませ犬として描いているので、ここでは正史に準拠して説明します。
確かに美しくはある
同時代の人たちからも、「美周郎」=「周家の美しい坊ちゃん」と呼ばれていたと言われています。
しかし、当時の美しさとは、筋力ムキムキの逞しい男の人のこと。
実は、今言われているような女顔の美人ではないようなのです。
しかし、どうせ他の人たちもイケメンではなかったのにイケメンと描かれていたりするので、
周瑜が様々な作品で女顔の美形と描かれていても、目くじらは立てないようにしましょう。
めっちゃ強かった
あまり大きな敵との戦いがないので詳しくは演義にも正史にも描かれていないのですが、
孫策(そんさく)の代は周りの豪族たちを制圧するのに戦い続けていた時代。
その中核にいたのはもちろん父・孫堅(そんけん)の代からの老将たちもですが、
その一員にまだ二十歳前後だった周瑜も含まれていたと思われます。
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断金の友
孫家長男の孫策と周瑜とは、幼い頃に隣同士に住んでいて、そのときから親しかった親友同士。
その熱い仲は「断金の友」=「二人の仲の強さは金をも断つ」と言われるほど。
二人の仲に焦点を当てた文芸作品も多く存在しています。
この二人の友情も、周瑜の人気の原因の一つとなっています。
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管弦の才能
周瑜は、琴がとても上手かったと伝えられています。
その才能は、宴会で酒を飲んでいた時でも、他人の引いた琴の音の間違いを指摘できたほど。
まさに天は人に二物も三物も与えたということです。
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カリスマ性
周瑜が赤壁の戦いで曹操軍と全面対決したのは、周瑜が32歳のとき。
その年齢で、周瑜は孫家の全軍を率いています。
そんな彼のカリスマ性を証明するエピソードがあります。
孫家の昔からの家臣の中には、若くして取り立てられる周瑜をよく分からない人たちもいました。
その代表が、呉のいぶし銀・程普(ていふ)。
彼は周瑜を嫌っており、何かにつけて彼と対立していました。
しかし、そんな程普もやがて周瑜の才能を認め、こういう言葉を残したと言います。
「周瑜という男は、まるで美酒のような男だ。人を酔わせてしまう」
外交の才能
若くして死の床についた周瑜は、それでも孫家の未来を案じていました。
主な心配事は、孔明や劉備の存在。彼らが孫家にとって強力な敵となることを、周瑜は当時から見抜いていました。
彼は何度も孫権に劉備を攻めるよう進言していましたが、孫権は乗り気ではなく、結局全面戦争が実現することはありませんでした。
このとき、もし孫権が周瑜の進言を受け入れ、劉備との全面戦争に踏み切っていたら、一体蜀は存在したのでしょうか?
それは、神のみぞ知る、です。
悲劇の英雄
周瑜が亡くなったのは、三十六歳のときでした。
これは奇しくも二十六歳で孫策が亡くなった十年後のこと。
そこに運命的な何かを感じずにはいられませんが、それはともかく、周瑜には優秀な跡継ぎはいませんでした。
娘は孫権の息子と結婚しているものの、息子たちはたいした業績を遺せませんでした。
彼はまさに、一代限りの悲劇の英雄だったのです。
ちなみに、周瑜が亡くなった後、魯粛(ろしゅく)、呂蒙(りょもう)も次々と病で命を落として生きます。
もし彼らが生きていたら、晩年の孫権の跡継ぎ争いについて、孫権を諫めることができていたのではないでしょうか?
歴史にもしもはありませんが、そう考えずにはいられません。
三国志ライター、秋斗の呟き
ここまで、周瑜の魅力を再確認してきました。
彼のファンは、三國無双などよりも創作の三国志に多く、自分オリジナルの周瑜の絵をネットに載せている人はたくさん存在しています。
自分で周瑜を描きたい!と思わせるほど、周瑜という武将は魅力に富んでいたということでしょう。
それにしても、振り返ってみると、呉派としては、かえすがえす、周瑜の早逝は惜しまれますね。
彼がもし生き延びていたら、晩年の孫権を見て、一体、どのような言葉を口にしていたのでしょう?
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