就職戦線異状だらけ!かなり大変だった三国志時代の就職

2016年7月22日




監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



名士を憎んでいる公孫瓚や、体育会系の劉備の所だと悲惨な事に

 

劉備 黒歴史

 

すべての群雄が曹操のように名士を愛したわけではありません。

何しろ、底辺から這い上がった群雄にとって、名士は自分より、

著名な人々であり、土地で尊敬を得ており、また結託すれば、

自分に牙を剥きかねないライバルでもあるのです。

 

事実、あれだけ名士を取りこんだ曹操も、兗州を領有した頃は、

名士層の取り込みに失敗して、徐州に陶謙(とうけん)を攻めている最中に、

陳宮(ちんきゅう)張邈(ちょうばく)に背かれ、

兗州の殆どの城が離反しています。

 

朝まで三国志

 

また、公孫瓚(こうそんさん)は、

「名士なんかハナから信用しないもんねー、わし」と切り捨て、

自分と気が合いそうなゴロツキや、下層身分で、実力主義の人間だけを採用しました。

 

これは、いいアイデアに思えますが、名士層の協力なしに、

広大な北方の統治は難しく、結局、名士層の取り込みに熱心だった

袁紹に滅ぼされています。

 

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劉備はともかく、名士を敵対視している関羽や簡擁が怖い

顔良と関羽

 

また、劉備(りゅうび)は名士を軽んじたわけではないのですが、

義勇軍の傭兵隊長から出発しているので、生死を共にした人間は

下層階級の人物が少なくありませんでした。

 

陸遜 関羽

 

それは、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)、簡擁(かんよう)のような人々です。

張飛は、身分が高い人にヘーコラする部分があるので扱いやすいですが、

関羽や簡擁は、身分の高い名士を「いけすかねぇ連中」と憎んでいます。

 

孔明

 

特に簡擁は、劉備の下に入った頃の諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)

気に食わなく思っていて、孔明が休息しようと、長椅子のある場所まで行くと、

椅子を独占し、決して孔明に譲ろうとはしませんでした。

 

関羽も目下の人間には優しい代わりに、目上や同僚には非常に厳しく、

そのあまりの厳しさに、士仁(しじん)と縻芳(びほう)は体罰を恐れて、

孫権に降ったと言われる位です、もうね、パワハラまがいですよ、関羽

 

天下の奇才、孔明でさえ、こんなチンピラ扱いですから、

あなたが劉備軍や公孫瓚軍に就職した場合、かなり辛い思いをする

可能性は否定できません。

 

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社長の権限が弱く、派閥争いが激しい呉

孫権

 

「魏は、出来る連中ばっかりでノルマがきつそうだし、

蜀は、規則でガチガチで息苦しそうだな・・

どうせなら、呉みたいな南の国で、楽しく

のんびり仕事が出来たらいいな」

 

あなたは、もしかすると、そう思い呉へ就職しようと思ったかも知れません。

確かに南方の呉は疫病こそ怖いですが、気候は温暖だし、

人は古の楚人の風合いで性格は激烈だけど、一度、打ち解ければ家族も同然です。

しかし、呉は、魏や蜀と違い、トップダウンではなく、

豪族の連合政権の意味合いが強く、激しい派閥争いがあります。

 

孫権

 

孫権(そんけん)の晩年に起きた二宮事件など、呉臣が真っ二つに分裂して、

お互いを罵りあうという凄惨な状態が起きました。

「私は中立でーす、、」という態度は呉では許されないのです。

 

また、仕えるべき孫権は、酒乱であり、

飲めない部下に無理に飲酒を勧める悪癖があります。

仕事とプライベートは別にしたい人は、仕事の後に続く、

地獄の孫権の酒宴に、とてもついていけないでしょうね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

いかがでしたか?家柄さえあれば自動的に出世できそうな三国志の時代も

乱世という事もあり、結構、大変だという事がお分かり頂けたでしょうか?

なんだかんだで、どの時代も就職は一生を左右する重大事で、

楽勝な就職とお気楽な人生は、よほどのアッパークラス以外には、

なかったのかも知れませんね。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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