曹操の覇道の立役者、程昱の凄い所

2021年5月25日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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悪の正義バットマン風 曹操

 

曹操(そうそう)は何でもできる、と言える人物ですが、最初からパーフェクト負けなし挫折なしにその道を歩んできたわけではありません。いくつも苦難があり、そしてその苦難を支える人物たちあってこそ、曹操という人物が作り出されているのです。

 

三国志を語るセンさん

 

今回はそんな曹操を支えた人物、中々面白い人物でもある程昱(ていいく)の凄い所をご紹介していきましょう。

 

最初は「立」だった

程昱(ていいく)

 

程昱は身長が190㎝もある人物でした。因みに190㎝が良く分からない人は自動販売機の高さが大体180㎝ちょっとなので、お近くの自動販売機を見て頂ければ程昱の身長を身近に感じられます。

 

プロ野球を学んでいる荀彧

 

そんな程昱の名前は嘗て程立でした。程昱は若い頃に泰山に登って太陽を両手で挙げるという夢をよく見たといい、その話を荀彧(じゅんいく)が曹操にした頃、曹操から「立に日を付け加えると良い」と言われて程昱となったのです。

 

時勢への冷静さ

曹操

 

そんな程昱は最初から曹操の部下だった訳ではありません。

 

劉岱

 

ある時、程昱の住んでいた兗州(えんしゅう)の刺史・劉岱(りゅうたい)が程昱を招きましたが、これには応じませんでした。

 

袁紹VS公孫瓚

 

後に袁紹(えんしょう)公孫(こうそん)サンが争うようになると、悩んだ劉岱は程昱を招いて相談し、程昱は袁紹に付くように勧めます。しかし劉岱に付くことはなく、その後、劉岱が戦死すると兗州は曹操のものになります。

 

曹操と機密保持

 

ここで程昱、曹操に何かを感じ取ったのかその招集に応じ、部下となります。劉岱に付かず、曹操には付いたその時勢を見極める目は、後に劉備(りゅうび)を見定めることになります。

 

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公孫瓚特集

 

閑話休題

戦う劉岱

 

ちょっと余談ですが、劉岱の字は公山と言います。そしてこの姓、名、字にまで同姓同名の者が三国志に出てくるので、大変ややこしいことでも有名です。

 

またこの岱という字は、泰山を意味するとも言われ、程昱は嘗て泰山に登って日を掲げる夢を良く見ていました。そう考えると、もしかしたらこの夢は劉岱という泰山を乗り越え、曹操を仰ぐという意味だったのかもしれません。

 

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帰る場所を護る

めちゃくちゃ強い呂布

 

さて曹操の徐州(じょしゅう)征伐の際、呂布(りょふ)が動きます。この際にケン城、(はん)東阿(とうあ)の三城以外は皆呂布に呼応しました。この時にケン城にいたのは荀彧、程昱の二人。

 

方天画戟を持つ呂布

 

後世の人から見れば抜群の安定感を誇る二人が残されていますが、当時の曹操としては生きた心地がしなかったでしょう。しかし程昱、そして荀彧らは協力してこの三城を護り、曹操は帰る場所を失わずにすんだのです。

 

曹操

 

曹操は程昱に深く感謝し「お前がいなければ帰る場所を失っていただろう」と喜んだと言います。

 

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呂布

 

袁紹との戦いと終わり

官渡の戦い

 

後に曹操は袁紹と戦うことになりますが、この戦いを決意させたのも程昱です。袁紹に従属しそうになる曹操を諫め、袁紹との戦いでいくつもの功績を挙げ、曹操を勝利へと導きました。

 

しかし、その後のある時、曹操は程昱に言います。

「昔、兗州でお前の言う事を聞かなかったら今の自分は無かっただろう」

 

その言葉を聞いた程昱は「満足を知っていれば恥を受けることはない」と語り、そこで引退をしたと言います。とは言えそれ以降も魏の重職には付いており、曹操廟の功臣三名として真っ先に名が刻まれる人物でもありますが……。

 

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劉備を見定める程昱

酔いつぶれる劉備玄徳

 

その程昱、劉備を早くから危険視していました。劉備が曹操の元にいた際には劉備を今の内に殺すように進言するも、曹操は聞き入れず。

 

劉備と孫権

 

後に孫権(そんけん)の元に劉備が行った際には孫権は劉備を殺すだろうという話が上がるも、程昱は「孫権は謀を持っている、もはや劉備は殺せない」と言ったといいます。

 

赤壁の戦い

 

この後に起こるのが赤壁(せきへき)の戦いです。

 

時勢を見定め曹操に付いた程昱は、劉備という人物をも見抜いていたということでしょう。時勢と人を見極め、自分の守るべきものを守り、引くべき時をも知る。それが程昱という人物の、凄さ、なのでした。

 

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赤壁の戦い

 

強情なおじいちゃん

豪族に提案する若い頃の程昱(ていいく)

 

そんな程昱ですが生まれは141年、曹操が兗州にやってきた時は192年ですから、既に50代です。また生き様をざっくり見ていると冷静かつ落ち着いた人物にも見えますが、その性格は強情で他人によく逆らい、敵が多かったのか「程昱は謀反を企んでいる」とまで言われたことがありました。

 

しかしそれでも尚曹操は程昱を疑わず、信頼していました。曹操と出会った際には既に老年であり、表舞台にはそれほど出てこなかった程昱。もしもっと若かったら……更なる活躍をしていた人物ではないかと思いますね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

程昱には曹操が食糧難に苦しんでいるということで、自分の領土から略奪、その物資の中には……人肉も入っていたという信じがたいような話が正史の注に乗っています。信ぴょう性はさておき、そんな話が出るということを見ると、結構周囲からは嫌われていた人物であったのかもしれんませんね。

ポイント解説をするセン様

 

しかし性格はどうあれ程昱は間違いなく曹操の土台を支えた人物。寧ろそんな人物だったからこそ曹操の基盤を築けたのではないかと思うと……

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

やはり三国志は面白いなぁ!どぼーん。

 

参考文献:魏書程昱伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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