言わずと知れた名作である北方謙三先生の『三国志』。(以下、「北方三国志」とします。)そんな北方三国志は、概ね正史三国志、すなわち史実に準拠した物語の構成となっています。
しかし、北方三国志には史実には現れないオリジナルキャラクターが時折登場します。今回は、そんな北方三国志のオリジナルキャラクター、それも魏・呉・蜀にそれぞれ登場する間諜について見ていきたいと思います。
北方三国志における間諜(スパイ)
北方三国志では、魏・呉・蜀のそれぞれに仕えるスパイ、つまり間諜集団というものが登場します。北方三国志は戦いを描く作品であり、戦いには事前の情報収集が不可欠だということを考えれば、作品に奥行きを出すためにはこうした間諜集団の存在を描くことは必要になってくるはずです。
しかし、こうした集団は裏工作や密偵などの隠密任務をメインに行っており、どうしても歴史の表舞台には出てきません。ましてや、正史に記録されることはありません。だからこそ、北方三国志ではオリジナルキャラクターという形でそうした人物を登場させているのです。
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魏の間諜(スパイ):五錮の者
「北方三国志」の魏には「五錮の者」と呼ばれる間諜集団が出てきます。「五錮の者」を取りまとめる長は石岐という者で、どこか陰のある、悲しい過去を背負った人物です。
残念ながら、作中で石岐の過去については断片的に語られるのみで、石岐の背負った過去について詳しく知ることはできませんが、その点がより一層この人物をミステリアスなものとしています。
石岐はこの時代には珍しく浮屠(仏教)を信仰しています。仏教は後漢時代には中国に伝わっていたようで、後漢末には徐州・揚州で大暴れした笮融が寺院を建設したことも伝えられており、三国志の時代に仏教徒がいたということは史実とは矛盾しません。
ただし、仏教が本格的に中国で信仰され始めるのは五胡十六国時代以降なので、三国志の時代に仏教を信仰しているというのは珍しいといえますね。
石岐は優れた能力を持った間諜ですが、彼は変わった条件で曹操に仕えています。それは、曹操による天下統一の暁には浮屠(仏教)の信仰の自由を認めるというものです。
作中の曹操は宗教には寛容な人物で、青州黄巾軍を帰順させる代わりにその信仰を認めたりもしているように、統一の暁に浮屠の信仰を認めてもらうというのは石岐にとってはリアリティのある条件だったようです。
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呉の間諜(スパイ):潜魚と致死軍
北方三国志において、呉には2種類の間諜が登場します。まず一つが潜魚と呼ばれる人物で、この人物に関しても例のごとくその背景があまり描かれていないため、謎に満ちた人物です。
潜魚は孫堅の甥であった孫賁に仕えていた人物で、孫賁が表舞台を退いた後は孫策に仕えます。しかし、全体的に登場機会は少なく、作品全体で見ても影の薄いキャラクターになっています。
一方、致死軍は作中中盤に呉の軍師・周瑜とのかかわりで盛んに登場します。致死軍は元々呉の南方に住んでいた山越族からなる部隊で、彼らは呉に服属した後、部族の地位を確固たるものとするため、周瑜に忠誠を誓って戦います。
致死軍の主要な人物としては、山越族の族長の息子にして致死軍の隊長を務める路恂と妹の路幽の兄妹が挙げられます。路恂は致死軍を率いて周瑜の下で戦い、路幽は間諜を務めるとともに愛人として周瑜に愛されていました。二人は、自分たちの部族のために危険な戦場・任務に身を投じていきます。
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蜀の間諜(スパイ):応累
劉備にももちろん間諜として仕える者がいました。その者の名は応累です。応累はかなり早い段階から劉備に従い、徐州・荊州・益州と劉備が流浪していく中で、劉備に忠誠を尽くしてきました。応累が劉備に絶対の忠誠を誓うのは、劉備の唱える「漢王朝の復興」という理想に共感したからです。
関羽や張飛、諸葛亮といった表で活躍する武将たちと同じく、応累は劉備の志と大義を共有して共に戦う戦友だったのですね。
その後、呉との戦いの中で応累は戦死してしまいますが、応累の遺志は息子たちにも受け継がれ、応累の2人の息子たちも蜀に間諜として仕え、諸葛亮の北伐を支えていきます。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか?
今回の記事では「北方三国志」という物語を陰で支える間諜たちについて見てきました。「北方三国志」の間諜たちは、単なる情報を盗むスパイではなく、みな主に絶対的な忠誠を誓い、自らの目指すもののために戦った立派な武人として描かれています。
こうした描写の仕方も、漢同士の意地のぶつかり合いを描くのが得意な北方謙三先生らしいといえますね。
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