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「劉備、軍事が苦手説」を検証する!

2022年3月13日


 

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法正と劉備

 

劉備(りゅうび)と言えば人望が高く、民には優しい。しかし、軍事はあまり得意ではなく、逃げてばかり。というイメージを持っている人もいるのではないでしょうか?

 

曹操から逃げ回る劉備

 

今回の記事ではそんな劉備の戦績を検証し、「劉備、軍事が苦手説」を検証していきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備の初陣(初めての戦)は?

土いじりをする劉備

 

劉備は漢王室の血を引く名門出身と言われますが、貧しい生活をしていました。しかし、とても人望があり、多くの人が彼の下には集まり、資金援助をする人物も現れました。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

そんな中、漢王室に対する反乱「黄巾(こうきん)の乱」が発生。様々な人が挙兵する中、劉備も関羽(かんう)張飛(ちょうひ)らと共に挙兵します。

 

黄巾の乱時に劉備を配下に加えて戦っていた鄒靖

 

劉備は鄒靖(すうせい)という武将の軍に組み込まれ、戦功をあげたといいます。

 

劉備に資金を提供する簡雍

 

具体的にどんな戦功をあげたかは正史「三国志」には書かれていませんが、後に恩賞として官職が与えられたことから、小さくは無い手柄を挙げたのでしょう。劉備の初陣は成功したと言えますね。

 

関連記事:鄒靖とはどんな人?黄巾の乱時に劉備を起用した大恩人の生涯を解説

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黄巾賊

 

 

 

 

いろんな武将の下を放浪し、そこで戦う

劉備と公孫瓚

 

後に官職を辞めてしまった劉備は旧知の「公孫瓚(こうそんさん)」の傘下に入ります。そこで劉備は袁紹(えんしょう)軍との戦いや、賊との戦いで活躍しています。また、曹操(そうそう)に攻められた「陶謙(とうけん)」に迎えられ、曹操と戦い、これを退けています。

 

三国志の武器 雲梯車 劉備

 

これを見てわかるように、初期の劉備は「傭兵」のようなポジションで各地の武将の下で戦い、軍事的評価も高かったことがわかりますね。

 

関連記事:公孫瓚や曹操が戦った青州・徐州黄巾軍とはどんな連中だったの?

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公孫瓚特集

 

 

宿敵、曹操と出会う

劉備を裏切る呂布

 

その後劉備は「呂布(りょふ)」と対立、彼に敗れてしまいます。

 

曹操と呂布と劉備

 

そんな劉備を保護したのはのちの宿敵「曹操」でした。劉備は曹操の援助の下、呂布と戦いますが、敗れ逃走してしまいます。

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

しかし、曹操自ら呂布討ちに乗り出し、曹操と劉備は共同軍として呂布を破ります。ここで曹操は呂布の武勇を惜しみ、助命しようとしますが、劉備がこれを断固拒否し、呂布は結局処刑されます。劉備にしてみれば強大な敵となりうる存在は消しておきたかったのでしょう、劉備の軍事的勘がうかがえるエピソードです。

 

関連記事:呂布が時々敗走している理由は?本当に最強なの?

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呂布

 

 

曹操と敵対し、再び流浪の身に

袁術

 

劉備は呂布を倒した後は「袁術(えんじゅつ)」討伐に従軍し、これを破り、帰還命令を無視して袁術の勢力下だった「徐州(じょしゅう)」に居座ります。

 

劉備と曹操

 

怒った曹操は軍を派遣しますが、劉備はこれを撃退、「お前らが100人来ても無駄だ、曹操殿自ら来られるなら別だがな!」と啖呵を切っています。が、後には本当に曹操自ら劉備討伐に乗り出し、劉備は逃亡してしまいます。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

そして袁紹の下に身を寄せましたが、袁紹が「官渡(かんと)の戦い」で敗れたのちは再び放浪の身となります。

 

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官渡の戦い特集

 

 

諸葛亮との出会いと赤壁の戦い

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

劉表(りゅうひょう)の保護下に入った劉備は一流の軍師「諸葛亮(しょかつりょう)」を配下にすることに成功します。しかし、劉表が死に、跡を継いだ「劉琮(りゅうそう)」は曹操に降伏してしまい、劉備は逃亡することになります。

 

劉備と同盟を組む孫権

 

この逃亡には多くの住民が劉備を慕ってついてきますが、これによって進軍は遅れ、曹操軍に迫られます。しかし張飛らの活躍で何とか曹操を振り切り、孫権(そんけん)と同盟することに成功します。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

そして「赤壁(せきへき)の戦い」にて孫権と連合で曹操と戦い、彼の野望を打ち砕きます。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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