日本で最も人気がある歴史コンテンツの一つであると言っても過言ではない「三国志」。日本では数え切れないほどの「三国志」を題材とした小説・漫画が出版されています。
その中で、三国志ブームの火付け役も言える、吉川英治先生の『三国志』や横山光輝先生の漫画『三国志』と並んで、抜群の知名度を誇る作品が北方謙三先生の『三国志』(以下、「北方三国志」とします。)です。
今回の記事は、そんな「北方三国志」の魅力と面白さに迫っていきたいと思います。
この記事の目次
「北方三国志」の魅力とは?
「北方三国志」は、日本を代表するハードボイルド小説家として知られる北方謙三先生の代表的な作品の一つです。
「北方三国志」は何人かのオリジナルキャラクターは登場するものの、基本的には正史に準拠しており、演義で見られるような一騎当千の猛将が単騎で敵の大軍を蹴散らす、といった超自然的な描写の数々はありません。
その一方で、ハードボイルドの巨匠である北方謙三先生らしく、個々の登場人物の心情や内面の描写、軍勢同士がぶつかり合う戦闘描写が非常に特徴的です。
史実を基にした物語である演義に登場する英傑たちは、一騎当千の活躍を見せる超人的な存在として描かれており、演義に準拠した三国志作品でも同様ですが、正史に準拠した作品である「北方三国志」では、登場人物の一人一人が地に足の着いた一個の人間として、その心の動きや内面の描写に至るまで、非常なリアリティを持って描かれているところが大きな特徴です。
演義に準拠した作品から「北方三国志」に入ったという読者は、はじめこそ、これまでに見てきた「三国志」の登場人物描写との違いに驚くかもしれません。
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「北方三国志」魅力1 劉備と曹操の強烈な対比
例えば、演義の主人公になっている劉備ですが、演義に準拠した他の作品では、漢王朝の復興を目指し、漢王朝を脅かす巨悪である曹操と相争う、人徳に満ちた正義の味方として描かれています。
しかし、演義では善人の劉備と悪人の曹操としての対比という要素が強すぎ、「なぜ劉備は漢王朝復興を目指しているのか」「関羽や張飛、趙雲といった豪傑をひきつける劉備の徳とはいったい何なのか」といった疑問が残るのです。
「北方三国志」では、演義のもつ善悪二元論的な枠組みからこぼれおちたような、こうした点を入念に描き込んでいるのです。
劉備を例に取れば、劉備は漢王朝の血を引く者として、400年続く漢王朝の血統こそが国家の柱であり、衰退した漢王朝を再建することこそが万民に安寧をもたらすと考えているからこそ、「漢王朝の復興」にこだわるのです。
しかし、曹操は違います。曹操は漢王朝の衰退を「血統の腐敗」によるものだと見なしているのです。
曹操は腐敗した漢王朝を排除し、万民のために新たな時代を創るべきであると考え、自らの覇道を突き進んでいきます。ここには、演義に含まれているような善悪の対立はありません。そこにあるのはただ、互いの意志や信念の激突なのです。
ここに、勧善懲悪の物語としての演義を超えた、「北方三国志」のリアリティがあるのではないでしょうか。
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「北方三国志」の魅力2 人間くささ
「北方三国志」の登場人物は、完全無欠なヒーローとしては描かれておらず、喜怒哀楽や感情の起伏に富んだ人間らしいキャラクターなのです。
例えば、「北方三国志」の劉備は、作中序盤で漢王朝の復興という夢を追う中で、幾度も敗北を喫します。徐州を呂布に奪われ、呂布を倒した後は曹操に追われて荊州に逼塞します。しかし、劉備の心は絶対に折れないのです。
何度敗れ、地を這おうとも「漢王朝再興」の志を追い続ける姿、自らの信念と信義を守ることを「男の誇り」として何よりも大切にするその矜持こそが、人々を引きつける原動力として描かれているのです。
一方、曹操は劉備と違い、漢王朝に取って代わるべく、自らの覇道を進んでいきます。また曹操は、信義を重んじる劉備と違い、目的のためには手段を選ばない恐ろしい男として描かれているのです。
そして、曹操は己の才能をいかんなく発揮して、呂布や袁紹といったライバルを次々と倒し、劉備をはるかに超える強大な勢力を築き上げます。しかし、それと対照的に、劉備の心の強さに対して、作中では曹操の心の弱さがたびたび描かれています。
例えば、曹操が張繍を攻めた時、曹操は女に溺れて逆襲を受け、自分を逃がすために戦ってくれた息子の曹昂や部下の典韋を亡くしてしまいます。この時に曹操は怒りと悔しさ、悲しみで半狂乱になりながら、「曹昂には天下を取れる実力はなかった、だから自分が助かるべきだった」と自分に思い込ませて、気を紛らわそうとします。
この場面の曹操は、自分のせいで息子と部下を失ったことの溢れんばかりの悲しみと悔しさを何とか抑え込もうとする感情豊かな人間として描かれているのです。
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「北方三国志」魅力3 苦悩する「人間」曹操
また、曹操は、漢王朝の腐敗を憎み、自らの覇道を進みながらも、どこか自分と対照的な道を行く劉備に密かな羨望を抱いているのです。劉備は曹操よりもはるかに弱い勢力であるにもかかわらず、何度敗北しても決して挫けることはなく、劉備の下にはその志と人柄を慕う豪傑たちが集まっていきます。この点に、曹操は己にないものを見出して嫉妬を覚えているのです。
そして、曹操の部下にも劉備の志にひかれる者が現れます。それが荀彧です。荀彧は曹操の軍師でありながら、劉備の「漢王朝再興」という志に共感し、その心は漢王朝に代わろうとする主の曹操から離れていきます。
その後、荀彧は自らの志と主の曹操に対する忠誠心の板挟みとなり、最後は自害してしまいました。荀彧の死を聞き、曹操は深い悲しみを覚えるとともに、荀彧の心が自分から離れていたことを知り、自らの人生そのものが揺るがされるような強い衝撃を受けます。
このように、曹操は作中でも、屈指の知略を誇る智将にして一代で巨大な勢力を築いた名将として描かれていますが、その一方で、堅忍不抜な心の強さを持つ劉備とは対照的に、感傷的な側面や心の弱さを秘めている人物として描かれているのです。
こうした、一個の人間の表面的な強さと内に秘めた弱さを巧みに描きあげている点が、「北方三国志」の魅力ではないでしょうか。
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「北方三国志」の面白さとは?
「北方三国志」の面白さとしてまず挙げられるのは、明確な主人公がいない点です。一般的な三国志作品では、必ず物語の主人公が設定されており、主人公を中心としてその活躍や人間関係が描かれます。
このような作品では、主人公以外の登場人物の多くは、主人公やその周囲の人物の引き立て役になってしまう傾向が多いでしょう。
しかし、「北方三国志」には明確な主人公はおらず、劉備・曹操・孫権・諸葛亮・呂布・馬超・袁紹・張衛といった主要登場人物それぞれの視点で物語が進んでいく群像劇の形を取っています。
「北方三国志」ではこのような群像劇のスタイルで物語が展開していくことで、他の作品では端役や主人公の引き立て役でしかなかった人物にも光を当てているのです。「北方三国志」では、主要登場人物それぞれの視点で物語が進むことで、登場人物がみな自らの信念や矜持を抱えており、戦乱の中でそれらが真っ向からぶつかり合っていることが読者にも伝わり、登場人物が放つ熱量を感じる作品となっています。
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