虎牢関の戦いと言えば三国志演義における序盤の大きな見せ場の一つ。特に出された酒が冷めないうちに華雄を討った関羽と劉備三兄弟が束になっても倒せない呂布は強烈なインパクトを与えます。
しかし、これらはすべてフィクション。史実に虎牢関の戦いはなく、華雄を討ち取ったのも孫堅です。
小説である三国志演義は、このように史実とは異なるストーリーが多々盛り込まれているわけですが、なぜ羅貫中は虎牢関という場所で関羽や呂布が活躍するエピソードを作ったのでしょうか?
今回は虎牢関という場所や時代背景などを紐解きながら、エピソード創作の意図を考察していきたいと思います。
虎牢と周の穆王
虎牢関は時代に呼称が変わっていて、かつては成皋関や古崤関、武牢関なども呼ばれていました。呼称の多くは各王朝が設置した地名に由来するもので、虎牢関も「虎牢」という地名が元となっています。では地名の由来はというと周の穆王がこの地で狩りをしていた際に飛び出てきた虎を捕らえ、飼育をしたことから生まれました。
現在は汜水鎮という地域にあることから「汜水関」、あるいは歴史的に著名な「虎牢関」の名称で呼ばれています。
虎牢「城」の建設
虎牢の地はもともと周の文王の異母弟である虢仲が封ぜられた地でしたが、周朝末期には弭叔頽の反乱鎮圧で功を上げた鄭国の封地となります。春秋時代になると中原を制した鄭国に対抗する目的で、晋の成公が諸侯と協力して城塞が建てられ、虎牢城と呼ばれました。
虎牢関の誕生
時代の変遷の中で虎牢は鄭国を滅ぼした韓国が領有し、続いて韓国を攻めた秦国の手に渡ります。その際、秦の荘襄王がこの地に関所を設けたことで虎牢関の誕生となるのですが、史書に虎牢関という名称が登場するのは唐代からです。
新唐書に記載された「会昌5年(845年)虎牢関に昭武廟が作られた」という記述が最初で、それ以前に虎牢関という名称は出てきません。秦から楚漢戦争期、漢代といずれも成皋関や旋門関、玄門関といった名称で呼ばれてはいるものの、虎牢関とは呼ばれていなかったようです。
関連記事:【キングダム】競争率高すぎ!秦国には大将軍希望者で溢れていた!
関連記事:秦国六大将軍、胡傷(こしょう)は王翦の師匠だった!?
—熱き『キングダム』の原点がココに—
「虎牢関の戦い」の疑問
前置きが長くなりましたが、こうした歴史ある場所を題材として作られた「虎牢関の戦い」の意図を考えていきましょう。まず虎牢関の戦いで大きな活躍をしているのが関羽と呂布の2人です。
しかし、正史において劉備一行は参戦した記録すらありませんし、呂布も胡軫の副将という位置づけで孫堅に敗れたとあるくらいで活躍はしていません。
また、担ぎ上げられた2人とは対象的に地に落とされた可愛そうな人物もいます。それが史実では大きな戦功を上げている孫堅、本当は大将だった胡軫、目立った記載のない華雄の3人です。
孫堅は華雄を引き立たせるポジションになっていますし、その華雄も関羽の強さを誇示するための当て馬。胡軫に至っては華雄と呂布の上官だったのが、副将扱いされた上に孫堅配下の程普にあっさり殺されています。小説なので史実と違うことに問題はありませんが、なぜこのような大幅な変更がされたのでしょうか?
関連記事:『英雄記』から判明した逸話!華雄は呂布と胡軫の争いに巻き込まれて死んでいた?
関連記事:華雄とはどんな人?正史で同情!演義では一転豪傑になった男
関連記事:趙岑とはどんな人?三国志演義では華雄と添えられた勇将
関羽と呂布の役回り
関羽と呂布の活躍に共通して言えるのは2人の強さが際立っているということ。なぜこうした見せ場を与えたのかというと大きく2つの理由が考えられます。1つ目は物語の前半から中盤にかけて関羽と呂布のポジションが重要であることです。
まず三国志演義は劉備ら蜀の面々をヒーローという位置づけにし、悪役と対峙する構図が基本となっています。序盤は暴虐非道の董卓が絶対的な悪、続いて裏切りを繰り返す呂布がその役回りを引き継ぎ、最終的にそれは覇道を進む曹操へと継承されていきます。
史実において董卓は圧倒的な力を持っているので悪役にもピッタリ。異論はないでしょう。しかし、史実における呂布はそこまで強そうなイメージがありません。ですが、演義では「最強呂布」という肩書も助けて曹操と劉備が協力してやっと倒したという印象を与えます。
そして「最強」を倒した曹操もまた董卓以上に強力な悪役として、物語の後半で劉備の前に立ちふさがります。
関羽については劉備に足りない「武」を補う存在であり、関羽と劉備の評価はほぼイコールであると言ってもいいでしょう。つまり、関羽が活躍すればするほどヒーロー側が優勢という印象を与えるのです。
また、関羽は呂布の赤兎馬を受け継いでいますが、これは「最強」という看板を引き継いだとも言え、官渡や関羽千里行、樊城といった後半における活躍ぶりを補完しています。
仮に虎牢関での活躍がなかったら呂布はパッとしない印象で、曹操の悪役としての存在感も半減していたでしょうし、関羽は前半と後半の活躍のバランスが取れず、なぜか急に曹操に惚れ込まれるという展開になっていたでしょう。
【次のページに続きます】