今回はちょっと息抜き雑談会としまして、功臣についてのお話です。
例えば三国志演義では五虎将軍と呼ばれる蜀の名将たちが出てきますし、魏もそれに対して五将軍と呼ばれる名将たち、また実際に曹操廟に表彰された二十五功臣たちもいます。
対して呉は?呉だって呉将軍とか呉虎将軍とかいても良いのでは?ということで五虎将軍や五将軍、二十五功臣達を紹介しながら、呉の名将たちも考えてみてみましょう!
この記事の目次
五虎将軍
言わずと知れた三国志演義で出てくる五虎将軍。筆頭は関羽、メンバーはそれに加えて張飛、趙雲、馬超、黄忠です。
なおこれらのメンバーは三国志演義で適当に選ばれた者たちではなく、正史で「関張馬黄趙伝」と彼ら五人が一つの巻にまとめられているからとも言われています。
ただし任命された当初は関羽、張飛、馬超、黄忠が前後左右将軍に任命されているのに対し、趙雲だけそこまで地位が高くない、という疑問点もあります。
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趙雲に関して
因みに三国志の記述において、趙雲の記述が非常に少ないというのは皆さん良くご存知のこと。趙雲は注釈である趙雲別伝での記述が非常に多く、これらの記述を踏まえて三国志演義では趙雲は大幅に加筆がされています。
これを踏まえて三国志演義では五虎将軍に趙雲も任命されておかしくない人物として描かれたのでしょう。
とは言え正史にもしっかりと勇猛で良く功を立てた人物として記されているので、趙雲が同じ伝として記されたのも何らおかしいものではないと思われます。
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魏の五将軍
対して魏から選ばれた五将軍、言ってしまうと五虎将軍への対抗馬が魏の五将軍と呼ばれるのが張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃の五人です。筆頭は張遼であり、彼らもまた「張楽于張徐伝」と一緒の伝にされています。
また同時期ではないものの、前将軍に張遼、右将軍(前任)に楽進、左将軍(前任)に于禁、左将軍(後任)に張コウ、右将軍(後任)に徐晃と前後左右将軍を務めた経歴のある人物たちです。
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血縁関係者除外
因みに夏侯淵や夏候惇、曹仁らは別伝にまとめられていますが、これは曹操との血縁関係があるという点もあって除外されており、五虎将軍に対してとても良い(数字的に)メンバーとなったので、五将軍、とよばれるようになったのでしょう。
更に余談ですが、実は徐晃伝には朱霊の伝も記載されていますが、数の理由からか省かれることが多いですね……
しかし実は朱霊も五将軍を務めた経歴持ちなので、六将軍になっても全然大丈夫ですよ!(?)
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曹操廟の二十五功臣
そして魏では曹操の功臣たちとして曹操廟に表彰された25名もいます。とは言っても彼らが表彰された時代には曹操はもう亡くなっているのですが、それでも実際に表彰された人物たちです。
こちらには于禁がおらず、朱霊が、また荀彧はいないものの荀攸が表彰されていたりと、中々選出メンバーに共通点が見られないメンバーなのが興味深い所ですね。
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