「天下に英雄は君と余だけだ」。これは三国志において、曹操が劉備をどう見ていたか分かる一言。そして劉備がどれほど、あの曹操に評価されていたか分かる一言でもあります。
曹操と言えばパラメータをちょっと覗いただけでもその凄さが伝わってきそうな人物ですが、その曹操からこんな評価を受けているのですからやはり劉備もまた、英雄なのです。
さてさて、今回の三国志とりかへばや物語は、ついについにその劉備編です。
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聖人君子と任侠2つの顔をもつ劉備
さて劉備というと三国志演義での聖人君子、というか人が良すぎて多少イラつく部分もあり、頼りない部分もあるけれど何だか放っておけない……この人を何としても皇帝にしなきゃ……!
という?イメージが一般的でしたが、正史における劉備はそこまで聖人君子ではなく(極悪人でもないですが)、どちらかというと結構したたかな印象を受けます。
筆者の個人的な意見を言わせて頂くと、どちらの劉備もまた魅力的であり、三国志演義主人公格として据えられたのも納得と言った所でしょうか。
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曹操に少し落ちるだけの有能な劉備
前述したように、曹操は劉備を「天下に英雄は君と余だけだ」とまで言い、自分と劉備は同等であると評価しています。ただし曹操は同時に「劉備の方がちょっと考え着くのが遅いんだけどね!」と言っているので、判断能力的なものは曹操の方が上と言った所ですかね?
まあこの評価自体が曹操の評価なんですけれど。とは言え、曹操をここまで言わしめた所はやはり劉備も凄い人物だったということでしょう。
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本物を見抜く眼力の持ち主
劉備の優れた点に「人を見抜く目」があります。特に馬謖の危うさを見抜いて諸葛亮に忠告していた点は、これを考慮していればもしかして、と思われる場面もありました。
諸葛亮と相性がよろしくなかった法正や魏延なども重用し、相手からもかなり強い忠義を向けられていました。これらは間違いなくあの乱世を生き抜いてきたからこそ、培われてきた能力の一つだったと思われます。
曹操も人材登用に力を入れていたこともあり、乱世を生きていくには人材を見抜く目は必要不可欠だったのかもしれませんね。さあそんな劉備のとりかへばや、考えてみましょうか。
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曹操と取り替えたら皇帝に即位できない?
やはり劉備と言えば曹操、曹操と劉備のとりかへばやはまず大一手。ここで気になるのは漢王室への対応です。実際、曹操は漢王室を滅ぼして奪ったという訳ではなく、董卓らよりはよほど皇帝に対して色々な対応をしていたと思われます。
さてここで難しいのは劉備が皇帝となったのは「曹丕が簒奪を行ったから」です。なので漢王朝の象徴たる皇帝が生きている内はそんなことはできません。
では劉備はどのようにして皇帝となるのか?もしかして皇帝となることはないのか?
つまり下手すると三国志は成り立たないのではないか?……という可能性が出てきますね。しかし劉備もそこら辺強かですから……上手く禅譲を行うのでしょうか……でもそれやっぱり曹丕とほとんど変わらないな……。
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孫権と取り替えると寿命が心配
孫権と劉備のとりかへばや、意外と劉備は呉でもそこそこ上手くやっていけそうな気がします。呉は取り扱いが難しいキレモノな武将たちが多いですが、劉備もそういう奴らの扱いは慣れたものでしょう。結構上手くやっていける気がしますが、孫権ととりかへばやするとなるとどうも劉備の残り寿命が気にかかる部分でもあります。
因みにとりかへばや先では、孫権と諸葛亮が上手くいかないだけでなく、孫権と張飛とか三国志二大アルコールを与えてはならない面子が揃うことになるので、蜀の宴会が楽しみですね!(他人事)
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