全国1億2千万のサッカーファンの皆様、こんばんは・・
ところで、皆さんは、ビートたけし司会の日テレの番組、
成功の遺伝史3[字] 世界に誇る日本人30人各界スターが最も尊敬する人は?続々発表!
この番組をご覧になりましたか?
番組の中で、あのACミランのFW/MF、本田圭佑が爆弾発言をしていました。
何と、本田圭佑が尊敬する人物とは、あの曹操(そうそう)だったのです!!
この記事の目次
空気を読まない、本田圭佑は曹操孟徳をリスペクト
人気も実力もあり、同時に俺スタイルを崩さない事から、
アンチも多い、本田圭佑、その彼は、子どもの頃から、
曹操の生き方を尊敬していたようです。
本田「三国志って2千年ちかく前の話で、
絶対にフィクションだろうという部分も多いじゃないですか。
そんな強いわけないだろう!みたいな。
でも、その漫画チックな部分を含めた曹操孟徳の完璧具合ですよね。
武将としても強いし、何よりもリーダーとしてカリスマ性がある。
行動でも引っ張るし、背中でも口でも語る。
総合的にバランスがよくて本当にカッコいいとおもいます。
もちろん、フィクションだよと言われればそれまでなんですが、
夢があるわけですよ。僕が幼い頃から憧れた曹操の姿には、
影響を受けているかもしれないですね」
(NUMBER)
本田圭佑が尊敬した曹操って、どんな人、もったいぶらずに教えろ!
さて、三国志ファンには、ああ、モーちゃんね!という位にお馴染みな、
曹操孟徳(そうそう・もうとく)ですが、本田圭佑の発言で
初めて知った人は、恐らくご存じないでしょう。
何ともったいない、曹操を知らないなんてー・・と意地悪は置いておいて、
初心者でも、ザックリと分かる曹操について解説しましょう。
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少年時代は、手のつけられない不良だった
曹操は西暦155年に中国で産まれました。
幼い頃の名前は吉利(きちり)、または阿瞞(あまん)と言います。
阿瞞とは、嘘つき小僧という意味で、その名の通り、少年時代の曹操は
大人さえ騙す、凄まじい悪童でした。
或る時、曹操の悪事を曹操の叔父が曹操の父親に告げ口しました。
すると、曹操は計略を考え、叔父の前でいきなり倒れて口から泡を吹きます。
叔父がびっくりして、曹操の父を呼んでくると、曹操は何事もなかった
ように父親に挨拶しました。
以来、曹操の父は、叔父の告げ口を信用しなくなりました。
身分や、人格に関係なく、有能な人を採用する
大人になった曹操は、黄巾賊という反乱軍を討伐して名を挙げます。
しかし、お金持ちでも、宦官(かんがん)という皇帝の奴隷の孫だった
曹操には、あまり人材が集まりませんでした。
そこで、曹操は、仕事さえ出来れば、性格が歪んでいても、
身分が低くても関係ないから、俺のトコへ来い!と呼び掛けます。
その結果、才能があっても、性格や身分に問題があり、採用されなかった
多くの有能な人が曹操に集まりました。
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ヨイショが上手、部下を褒めてやる気を出させる
曹操は、部下を褒めるのが上手でした、少しでも相手の
いい所を見つけるとすぐにヨイショします。
お金も手間も要らない方法ですが、ポイントを抑えていたから、
曹操のヨイショは、部下の心を掴んだのです。
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自分に10倍する敵が相手でも勝負を捨てない
曹操には、袁紹(えんしょう)という、お金も地位も名誉もある
エリートのライバルがいました。
いつまでも貧乏ヒマ無しの曹操は、西暦200年、この袁紹と激突します。
三国志演義によると、曹操の兵力は7万人、袁紹の兵力は70万人でした。
10倍という兵力差のハンディキャップに曹操は苦しめられ、
軍師の荀彧(じゅんいく)に弱気の手紙を書いて、撤退しようとしますが、
荀彧に励まされると踏みとどまり、必死に我慢してチャンスを待ちます。
そして、袁紹側から、武将が降伏してくると、袁紹軍の食糧倉庫の
情報を手に入れ、自ら決断して、食糧倉庫を襲い焼き払います。
これで、食糧が無くなった袁紹は、やむなく撤退してしまいます。
諦めない粘り強い曹操は、奇跡の大逆転劇を果たし、天下に王手を掛けるのです。
引き際が上手い、赤壁ではスタコラ逃亡
曹操は、ただ、粘り強いだけじゃありません。
これは、駄目だと思ったら、あっと言う間に逃げてしまう
逃げ足の速さもあります。
西暦208年の赤壁の戦いでは、曹操が80万、
ライバルの劉備(りゅうび)と孫権(そんけん)の連合軍が5万人程度でした。
しかし、曹操の油断から、長江に浮かべた自軍の大船団が、諸葛亮孔明
(しょかつ・りょう・こうめい)の火攻めで焼き尽くされてしまいます。
普通なら呆然自失になる所ですが、曹操は違います。
邪魔になる兵士を押しのけ斬り殺し、あっと言う間に本拠地まで逃げ戻りました。
駄目だと思えば、すぐに逃げるのも曹操の持ち味です。
目の付けどころが違う 独自の経済戦略
曹操は、戦乱で荒れ果てた領土ばかり得ていましたが、
長年の間には、その領地は建て直され、繁栄していきました。
その理由は、曹操が、土地を失った流民を受け入れて、
牛や穀物の種を与え、畑を耕させたためです。
同時にその流民は、戦争の時には武器を持ち戦う存在でした。
その当時、曹操のライバル達は、開墾など考えず、
食糧や、豊かな土地を奪い合っていました。
その為に、最初は曹操に経済力で優位にありましたが、
時間が立つほどに、曹操が優位になっていったのです。
詩も読めば、武器も扱い、政治も出来る万能ぶり
曹操の生涯戦勝率は、8割を越えています。
10回中、2回しか負けないんですから、めちゃ強いです。
個人の武勇も、凄く、特に槍が得意で、振りまわすと、
誰も近づけない程の腕前だったようです。
そればかりでなく、詩人としての才能も一流で、
21世紀の現在に至るまで、多くの詩が残ります。
はじさんでも特集したので、ここを見てね↓
もちろん、政治でも、中国の3分の2を支配して、
圧倒的に強い、魏を建国する位ですから超一流です。
何よりも自分を信じる タフな精神力
曹操は、混乱した乱世を切り抜けて、魏(ぎ)という新しい王朝に繋げた
時代のパイオニアという存在です。
その曹操には、俺様的なしびれる名言があります。
「俺の言う事は正しい、俺のする事も正しい、
俺が天下に逆らおうとも天下が俺に逆らう事は許さん!」
混乱する乱世では、曹操のような強烈な自負が求められました。
もちろん、曹操は、ただ、俺様的に振る舞うだけでなく
やってくる困難から逃げず、全て受け止めました。
彼の部下は、その曹操の勇敢さやリーダーシップ、
責任感、そういう要素に惚れて、彼に従ったのです。
三国志ライターkawausoの独り事
曹操を語る時に、思い浮かぶのは、言っただけの結果は出すという
タフな精神力を持つ人に共通する態度です。
ビックマウスだけど、言うだけの事はやる、そこに反感を持つ人も
共感する人もいるでしょうが、何となく本田圭佑に似ているような・・
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