西暦197年、揚州の寿春を本拠地としていた袁術(えんじゅつ)は、皇帝に即位します。
これより前の195年、献帝(けんてい)が長安から脱出して曹操(そうそう)に保護された時、袁術(えんじゅつ)は、「これで漢の命運は尽きた」と考えて自らが即位する事を家臣に打ち明けますが、猛反対されて引っ込めていたのです。
しかし、197年に至り、袁術(えんじゅつ)は強引に皇帝即位を宣言します。国号は仲とし、都を寿春としました。
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袁術(えんじゅつ)に賞金首がかかる
ところが、献帝(けんてい)が存命の間に袁術(えんじゅつ)が皇帝を名乗った事に諸候は非難轟々曹操(そうそう)は、これに乗じて献帝(けんてい)の命令で袁術(えんじゅつ)を逆賊として賞金首にします。
袁術(えんじゅつ)の配下であった孫策(そんさく)も「無謀な事は止めるように」と何度も諫言するような書簡を送っています。
袁術(えんじゅつ)は、それらの反対勢力に全て反発しました。結果、袁術(えんじゅつ)の配下にいた有力な武将は袁術(えんじゅつ)を見限って出て行きます。書簡を送って袁術を諌めた孫策(そんさく)も失望して出ていき、江東で独立志向を強めていきます。
袁術(えんじゅつ)は住民に重税を課す暴挙
そればかりなら、まだしも、袁術(えんじゅつ)は皇帝に即位すると、揚州の住民に重税を課し、また兵力とする為に多くの若者を徴発してしまいます。働き手は取られた上に、税金は重くなるのでは、農民の暮らしは苦しくなる一方です。
ですが、名門の生まれで庶民の苦労をしらない袁術(えんじゅつ)は、自分がどれだけ庶民を苦しめているかも分かりませんでした。
曹操(そうそう)は遂に袁術(えんじゅつ)を討つ為に兵を出す
西暦198年袁術(えんじゅつ)は、陳という小国を奪い取る為に陳王を暗殺します。これを知った曹操(そうそう)は、袁術(えんじゅつ)を討つ為に兵を出し、袁術(えんじゅつ)配下の4人の武将を次々に討ち取ります。
これにより袁術(えんじゅつ)の兵力は大きく衰えてしまいました。さらに同年には、曹操(そうそう)に対抗していた呂布(りょふ)が袁術(えんじゅつ)に援軍を求めた時に、袁術(えんじゅつ)は呂布(りょふ)の裏切り癖を理由に援軍を見送ります。
袁術(えんじゅつ)からの援軍がなく呂布(りょふ)は尽きる
呂布(りょふ)の命運は、これによって尽き、袁術(えんじゅつ)は曹操(そうそう)の脅威をまともに受ける羽目になってしまいました。
進退極まった袁術(えんじゅつ)は、曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)のどちらが天下に近いか考え弱兵の曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)に敗れるだろうと判断します。
そして、皇帝の位を袁紹(えんしょう)に譲る事を条件に自分を守ってくれと手紙を出したのです。
袁紹(えんしょう)は、曹操(そうそう)との戦いに忙しく、味方兵力が増えるのは、有り難い話ではありましたが、皇帝を名乗って評判を落とした袁術(えんじゅつ)を匿う事で発生するリスク、そして、以前、袁術(えんじゅつ)が袁紹(えんしょう)を「身分卑しい庶子の子供」と馬鹿にしていた事を考えて返事をしませんでした。
止むなく、袁術(えんじゅつ)は飢饉と悪政で廃墟と化した寿春を捨てて、猛将紀霊(きれい)を連れて、袁紹(えんしょう)の元へと移動を開始します。
これに対して、袁紹(えんしょう)も迎えを寄こす事が分かったので、曹操(そうそう)は、二人が結託する前にこれを討ち取ろうと劉備(りゅうび)と朱霊(しゅれい」を派遣します。
劉備(りゅうび)は、袁術(えんじゅつ)軍に追いつき、張飛(ちょうひ)が紀霊(きれい)を討ち取ると袁術(えんじゅつ)軍は総崩れになり袁術(えんじゅつ)は、僅かな手勢を引きつれて、敗走します。
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袁術(えんじゅつ)の最期
時は真夏でしたが、袁術(えんじゅつ)軍には食糧はおろか、水さえありませんでした。袁術(えんじゅつ)は、蜂蜜水を料理人に所望しましたが、料理人は、
「血と水しか材料がありません、蜂蜜などどこで得られましょう」と冷たく言い放ちました。
袁術(えんじゅつ)は、寝台に腰掛けると、突然、目を見開いて
「袁術ともあろうものが、このようなザマになろうとは!!」と叫んで、口から大量の血を吐いて絶命したと言われています。
袁術(えんじゅつ)の人生
袁術(えんじゅつ)はゲーム等では最後の悲惨な末路が勘案されて、知力は低めに設定されていますが、その人生を振り返ると、常に相手を上回る知略を駆使し、敵を騙しても騙される事はない狡猾な策謀家として定義できます。
ただ、野望だけが先走る傾向があり、自分の実力を過信し、皇帝を名乗るなどした為に、諸候の信頼を失い、また、農民の苦労を知らず内政に意を用いなかったので自分が拠って立つ基盤まで失ってしまいました。
故に一度の敗戦で、国力はガタ落ちしてしまい、再起する事が出来なかったのです。袁術(えんじゅつ)の失敗は、その部分に尽きると言えるでしょう。
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